| 遺跡馬鹿 安陽と北京は遺跡だらけ:殷墟遺跡 |
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殷墟遺跡 安陽の観光の目玉!殷墟遺跡! ついに訪問することができました。 埋められた殉葬者たちのガラスケースがたくさん並んでいるのを写真で見て、その数の多さ、遺骨の状態に驚かされました。 今は建物内で展示されたり、または埋め戻されたりしたので、初期の頃の禍々しい展示を見ることはできませんでした。 中国の人も残念だと漏らすほど、往時の迫力はなくなってしまいました。 しかし何もないといっても馬車の展示など、ちゃんと見どころは用意されています。 殷墟遺跡 ![]() 14番路:「公交车站」のバス停です。 ここからバスに乗り、殷墟遺跡を目指します。 バスの中から外を見ると大渋滞でした。前の方で事故があったようです。 殷墟と書かれた巨石を見て、ようやく実感が湧きました。> ![]() 草の中に青銅器! 殷墟バス停から正門まで1キロほど歩くので、いろいろと楽しめる仕掛けを原っぱに仕込んでいるようです。 2枚目の写真は展示ケースです。 覗いてみましたが昨日の雨で湿気がケースを内側から曇らせていたので、中がどうなっているのか分かりにくかったです。 遺物がちょこっと見えましたが…本物じゃないと思います。 ![]() 正門に到着!誰もいない!平日の朝はこんな感じみたいです。 2枚目は王陵行きのバスで、やや小型。赤色でド派手。 まずはこれに乗って王陵地区へ行きます。 3枚目は曹操のお墓(曹操高陵)へ行く直通バスです。 最近運行が開始され、ここから曹操の墓まで往復できるので便利です。 ![]() バスの中から外を見ています。田舎道を進みます。 あっという間に王陵の正門に到着です。 私が訪問した時は工事中で、無情の囲い(鉄板)で敷地が覆われていました。 予定ではここの広場を子羊のように駆けまわり、巨大鼎と一緒に写真を撮るつもりだったのに…トホホでした。 ![]() 囲いには発掘当時の写真などが描かれていて、これはこれで面白かったです。 「M1002号墓」の写真を観ると圧倒されます。 2枚目は『武官村大墓』です。 ここの地下に墳墓があるので、植木でその位置を示しています。 石碑には「王陵区」と書いてあります。 この石碑の奥には建物が3つ建っています。 ・M260大墓展示館 ・殉葬者の展示 ・馬車展示 王陵遺跡:M260大墓展示館 ![]() この展示館の入り口が少し高いので、囲いの向こうを撮影し、どうなっているのか確認しました。 なんと!まだ本格的な工事は始まっていないようです。 写真中央に巨大な 『后母戊鼎』 のレプリカが見えます 早すぎる囲いの設置に怒りつつ、M260王墓に突撃です! ここは23代”王武丁”の正后の墓で、『后母戊鼎』が副葬されていた墓です。 ![]() 1枚目の四角い凹みに死者を埋葬しました。 后母戊鼎は今の位置ではなく、死者を埋葬した棺の近くにありました。 3枚目の写真、丸い石がゴロゴロしています。 ![]() 石かと思ったら殉葬の頭蓋骨でした。 色々な角度から墓と鼎を撮影してみました。 ![]() 狭い通路に展示ケースが並んでいます。 2枚目の写真は 「M259墓」 の遺物です。 子供の頭が入ったまま出土した青銅の蒸し器です。(本物) 異民族の子どもだそうです。 M259墓、蒸し器が見つかったお墓です。(復元)本物もこのM260墓の近くにあります。 ここは貴族の墓で、蒸し器は棚のところに乗せられていたそうです。 商(殷)の時代は現代と違い、人を生贄にすることは普通に行われていました。 王陵遺跡:王陵墓葬展覧館 ![]() 「王陵墓葬展覧館」にやってきました。 中は広々としています。 まずは「銅製ヘルメット」と「青銅人面具」と対面です。 ![]() 穴の中に生贄にされた人たちの遺骨が収まってます。 2枚目のように覆いがあるものは本物なんだと思います。 中をのぞくとこんな風に遺骨を観ることができますが、通路近くの穴しか覗けないので不満です。 それにレプリカだと思うと残念です。 ![]() 蓋があるものは本物の遺骨だと思いますが、今度はあまり良く見えません。 工夫されているとは思いますが、やはり以前あったような野外展示レベルにはならないですね。 写真はたくさん展示されています。 ![]() 多くの頭蓋骨や頭のない遺骨など、商時代のすさまじい供犠の数々です。 象の骨もありますが、当時は特別な動物ではなかったようです。 王陵遺跡:車馬坑陳列館 ![]() 車馬坑陳列館です。 ここは2台の馬車が展示されていました。 殷墟で発掘された馬車の多くは2頭馬車だそうです。 天井が車輪になってました! ![]() イラストを見ると当時の雰囲気が伝わってきます。 3人乗りみたいです。 殷墟宮殿宗廟遺跡 王陵遺跡から戻ってきました。 次は殷墟宮殿宗廟遺跡を見学します。 こちらは広々とした敷地に展示館と婦好墓、ミヤゲ屋などがあります。 奥の方の施設がやはり改装中ということで立ち入りができませんでした。 ![]() ![]() 石碑とか当時の建物を模倣した展示館などがあります。 また、いたるところに甲骨のパネルがあったりします。 以前の展示を彷彿とさせるガラスケースがありますが遠くて見えません。 空っぽなのかな…と想像しています。 時々、可愛いイラストが置いてあったりします。 殷墟宮殿宗廟遺跡:殷墟車馬坑展庁 また馬車の展示?と言われそうですが、殷墟の名物なので馬車多めです。 王陵墓とはまた違う、少し進化した馬車が展示されています。 ![]() 赤い柱に白い壁はまるで日本の神社みたいですが、商の王宮もこんな感じだったのかもしれません。 少し車輪の大きな馬車が展示されています。 遺跡から出土したという馬車道が展示されていました。 ローマ街道のように整備された道路が当時もあったんですね。 ![]() 御者の遺骨がありました。 馬だけでなく、御者まで葬られています。 車輪の軸にカバーがついています。 復元模型が展示されていました。 車輪の金具は青銅みたいです。 殷墟宮殿宗廟遺跡:甲骨窖穴展庁 ![]() 1936年6月にこの甲骨窖穴から1万あまりの甲骨片が見つかりました。 崩さぬように土ごと掘り出し、箱に入れ、南京まで輸送したそうです。 よく見ると、穴の中に骸骨が!古代の司書さんでしょうか…一緒に埋葬されたのでしょうか。 卜占は動物の骨を使うときもありますが、亀の甲羅と動物の骨は別々の穴に集められていたそうです。 使い終わっても、神聖なものとして扱われていたようです。 殷墟宮殿宗廟遺跡:婦好墓 婦好(フーハオ)とは商の23代の王”武丁”の妻だった人で、中国最古の「女将軍」でした。 自ら戦に出て異民族と交戦したというのだからスゴイです。 30歳代で死去し、殷墟宮殿宗廟遺跡内の婦好墓に埋葬されました。 埋葬品のほとんどが国宝級という出土品。 お墓は一度も盗掘されることがなかったそうです。 また、このお墓を発見したのは女性考古学者だったということです。 ![]() ![]() 婦好像です。 手には青銅鉞(せいどうえつ)と呼ばれる大型の斧(まさかり)を持っています。 将軍として活躍した彼女にふさわしいです。 2枚目の写真は婦好墓の入り口です。 ここから下へどんどん下りていくと墓室に到着です。 空気が循環しているおかげでカビ臭さなどはありません。 ![]() ![]() お墓は本物ですが、転がっている青銅器や人骨などはレプリカです。 発掘したばかりの時はもう少しバラバラに転がっていいたようですが、今はすっきりと脇に寄せられています。 3枚目の写真はさらに深いところに埋まっていた遺物たちです。 婦好本人の遺骨は残念ながら残っていなかったそうです。 ![]() 殷墟宮殿宗廟遺跡から殷墟博物館への移動は歩きにしました。 川べりを歩けるように整備されています。 遠くに青くて平たい殷墟博物館が見えます。 |