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ラッテストーン遺跡(Latte stone)
グアムで唯一簡単に見られる遺跡がこの「ラッテストーン」です。
ちょっと前までは謎の遺跡などと言われていましたが、今は建物の土台ということで案内版にもそんな絵が描かれています。
ラッテストーン公園に面している崖には日本軍が掘った防空壕が残っていました。
ラッテ…チャモロの象徴 現地案内版より
ラッテストーンは今日、海岸線や谷間に流れる川の側で多く見つけることができます。
このラッテストーンはマリアナ諸島の古代チャモロ文化の名残で、「ハリギ」と呼ばれる柱身と、上部の「タサ」と呼ばれるコーヒーカップ状の石から成っています。
どのラッテストーンも3つから7つほどが、並行に2列に並んでいます。
高さはまちまちで、低いものは1メートルに満たず、高いものだとテニアン島の”ハウス・オブ・タガ”にあるもののように6メートルにもなります。
これは、西暦1100年から1700年ぐらいにかけてチャモロ人によって築かれ、主にグアム、ロタ、テニアン、サイパン島で発見されています。
その目的は、村々の重要な建物の基礎として使用されたようです。
ラッテストーンは1600年以降、スペイン入植と時を同じくして姿を消してしまいましたが、ここにあるのは、現在の米国海軍司令部付属機関があるフェナバレーの旧メポ村にあったものを1956年に移したものです。
メポ村は第二次世界大戦後、海軍基地建設のために消滅した歴史上の村です。
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公園の入り口からラッテストーンを見てみます。 移設されたものなので、ちょっと興ざめですが、でもそのお陰でじっくり観察出来ます。
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まず配置をじっくり観察。どれも2mほどの高さがあります。
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向かって左側です。
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今度は右側を観察します。
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表面はボコボコです。
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足下に平たい石が置いてありました。 私はラッテストーンの土台じゃないかと思いますが、特に説明はありませんでした。
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復元図。
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防空壕の入り口です。 案内版に「日本軍が現地チャモロ人に労働を強いて掘らせた」と書いてありました。 戦後は米軍の核物質保管にも使われていたそうです。
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真っ暗なのでフラッシュを焚いてみましたが、いたずら書きだらけです。
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紹介した2枚は左側の入り口のようすです。 次は別の防空壕を紹介します。
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こちらは入り口は一つです。 |
中はこんな感じです。
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