| 遊戯王の謎−単独コーナー編 | |
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| なんとなく気になるのが 『誕生日』 でしょうか。 原作では説明がないので、以下のような条件付きで仮説を立ててみました。
海馬瀬人===セト神とみなす。 城之内=ネフティス神とみなす。 (すべてMY設定です) セト神とネフティス神に関しては 『名前の由来』 で、それぞれ瀬人さんと城之内に関係があるようなコトを書きましたが、オシリス=闇遊戯さんのことを一度も関係あると私は書いていないのですが…、まぁ、そのヘンは察してください(^_^;)。 ▼最初にエジプトの暦について軽く知って欲しいなぁ〜と思いましたので、ダラダラと説明文を載せました。よければ読んでやってください(*^_^*)。 |
■驚くべきエジプトの暦
それもなんと六千年前には、一年がだいたい365日だったことを知っていたのです。 では、六千年前の新石器時代のエジプト人が、『どのようにして』今とあまり変わらない暦を作ることが出来たのか? 残念ながら、その謎は解けていません。 ★★ナイル川を利用した暦という説★★ ■『歴史の父』 と呼ばれるヘロドトスは、彼が書いた「歴史」という本の中で、こんな有名な言葉を残しています。 『エジプトはナイルの賜物(たまもの)』 ■ナイル川は一年の決まった時期に増水し、大地を水で覆います。 水は四ヶ月間、大地を満たすと、静かに引いていき、その後には肥沃な堆積土を残していきます。 その栄養満点な堆積土は農作物を豊かに実らせ、エジプトに繁栄をもたらしてくれるのです。 皆さんもご存じかとは思いますが、土というのは農作物を一年育てると、疲れ果てるものです。そのため休耕地を用意して、年ごとに植える場所を変えたりするところもあります。 国土のほとんどを砂漠が占めるエジプトではそんな贅沢は出来ません。 狭い農耕地を最大限に利用しなければなりません。 ナイルの増水がもたらす堆積土はエジプトの農民にとってなくてはならない神の恵みなのです。 ■古代エジプト人は、ナイル川の水量の変化をカレンダーがわりに利用していました。
■コレを見て分かることは、1年は12ヶ月(4ヶ月+4ヶ月+4ヶ月=12ヶ月)と数え、 日数は360日(30日X12ヶ月)に、神々の日(エバゴメン)の5日間を足して、 1年を365日として考えていました。 ■上の表を見ていただければ分かりますが、エジプト人は季節を3つに分けていました。 農作物のタネ蒔きや収穫期などはナイルの水位により決めていました。 けれども洪水はいつも同じ時期にやってくるとも言えないので、これはだいたいの目安として使われたということです。 (または農民用の暦とも言われています) ★★シリウス星を利用した暦★★ ■日本でのシリウス星は、冬に見ることが出来ます。 それも南側の空で、一番明るく輝いているので簡単に見つけることが出来ます。 星座ではおおいぬ座の口元にあたります。 ■シリウス星の名前はギリシャ語(セイリオス)に由来し「焼き焦がす」という意味を持っています。 おそらく明るく輝くイメージでその名前がつけられたのかもしれません。 古代エジプトでは 『ソティス』 と呼ばれていました。 また古代バビロニアでは犬星、中国では天狼と呼ばれていました。日本ではその色から青星と言われていました。 ■シリウス星がなぜカレンダーの役割をすることができるのか?
(それを「ヘリアカルライジング」と呼ぶそうです) それもただ昇るだけではありません。 その日から母なるナイル川の増水がはじまるのです。 ★シリウス星とナイル川の増水とは、なんの因果関係もありません。まったくの偶然です。 ●エジプト人はこの日を 「トト神の月の第1日」 つまり 「元旦」 と決め、盛大な祭りを行ったそうです。 ★★こまった問題★★ ただしここで不思議なコトが起こります。 古代エジプト人は4年に1度の 『閏(うるう)日』 を知っていましたが、ナゼか、神官たちは取り入れることを拒否するのです。そのため約4年に1日の割合で実際の季節と暦がズレていくことになります。 そのズレはズっ〜〜〜と続き、約1460年かかって元に戻ることになります。 この1460年のサイクルを 『ソティス周期』 と呼びます。 そして1460年ごとにまた、盛大な祭りを行っていたそうです(^_^;)
★ユリウス歴成立のちょっとしたマメ知識★
それまでのローマでは太陰暦、つまり月をカレンダー代わりに使用していたのですが、信じられないことに、権力者が勝手に一年の長さを変更したりしていたので、まったく正確ではありませんでした。 世界三大美女の一人、クレオパトラを愛人にしたことでも有名な 「ユリウス・カエサル・シーザー」 はエジプトを訪れた時、たまたまエジプトが太陽歴を使用していることを知り、「ローマでも太陽暦を取り入れた新しい暦を作ることにしよう」と思いつきました。 当時、エジプトにはアレクサンドリア出身の 「ソシゲネス」 という大変優秀な天文学者がいました。 カエサルは、改暦のプロジェクトチームを作るために、その時代の最高の哲学者や数学者を呼び集めました。 そのメンバーの中にはエジプト人学者のソシゲネスの名前もありました。 おそらく彼がエジプトで採用していた太陽暦を中心にユリウス歴を作り上げていったと思われます。
★★ユリウス歴から調べる誕生日★★
つまり、エジプト神話から見ると、簡単に答が出ます。 ★★それぞれの生まれた日★★
つまり王様と社長と城之内は、8月生まれの「乙女座」になります。 そして 『海馬瀬人』 サマが最年少となります(数日の違いですが(^_^;)) 大ドンデン返し 皆さんは、今の暦の名前を知ってますか? そう… 「グレゴリウス歴」 です。 つまり、ユリウス歴ではないんです………。 ということは、上記の誕生日は、このままでは正しくありません。 ★1582年10月4日、ローマの教皇である「グレゴリウス」が勅令を発しました。
きちんと調べてみたら、今までのユリウス歴が正しくないことが分かったのねん。 なんと10日分足りないのよん。だから今日の日付に10日足してねん。 つまり、明日はいきなり15日になるから、ヨロシクねん」 みたいな内容らしい…。おネェ言葉で書いてみました。 ▼つまりはユリウス歴で出した上記の誕生日に10日足した日付がそれぞれの誕生日となるのです。 ★★グレゴリウス歴でのそれぞれの生まれた日★★
それでも乙女座は変わらないようですね。 ★★墓の天球図から調べる誕生日★★
■星座はもともとメソポタミアが起源であり、バビロニアの学者は星占いに熱心でしたが、古代エジプト人はあまり興味を示さなかったようです。■エジプトの星座図といえば「デンデラ神殿」の壁画が有名です。 ★この大きな図がそうです。−→ 時代はとても新しく、プトレマイオス朝のものです。(エジプト王朝末期、クレオパトラとかの時代) ■エジプトにおける星座(星占いの道具)の観念はエジプト王朝末期あたりで盛んに取り入れられ、時代的に新しいのですが、墳墓の壁画などに残る星座カレンダーは、星占い的な象徴というより、月日の区切りを円記号で表わした単純なモノでした。 ■紀元前1300年頃のファラオであるラムセス2世の王位更新祭に使用された神殿ラメセウムの天体図を見ると、元日を蟹座と獅子座の境目にしているものがあります。 それからすると、7月20日にシリウス星が昇る日となっています。 (星座の区切りは本によって微妙にずれるので、ひょっとしたら21日とか19日かもしれません。その辺はご勘弁を…) ★★それぞれの生まれた日★★
つまり王様と社長と城之内は、7月生まれの「蟹座」になります。 ■二つも誕生日があると困りますよねぇ。 ユリウス歴はローマのカレンダーに合わせたものなので、その作成の段階でエジプトの暦をムリヤリ・ギュウギュウと入れたようなイメージを持ってしまいます。 星座の方は確かに古い壁画を元にして出されたものなので、信頼がおけるような気もしますが、月日の分け方がちゃんと三千年前に出来上がっていたのか…という疑問が残ってしまいます。 まぁ、乙女座にしても蟹座にしても、私とはあまり相性が良くないので、なんだかクヤシイです。(泣) ■本当は神様で計算するのではなく、「スメンクカーラー王」として計算したかったのですが、現在がエジプト歴の何年になるのかがはっきりしないとなんとも言えません。 (一応エジプト歴が立てられたのは紀元前4241年です) まぁ、基本となる月日がないので、これはもう無理です(^_^;) ■参考文献に本を紹介しましたので、興味のある方は調べてみてください。 実はシリウス星を調べていて、感覚的にわからないことがありました。 それは「エジプトの夏にあらわれるシリウス星がどうして日本では冬しか見ることができないのか…」という初心者レベルの疑問です。 なぜなら、「エジプトも日本も同じ北半球にあるのに…」 という中途半端な知識があったせいです。 その疑問を KEI様の「Mr.KEIのほ〜むぺ〜じ−初心者の天文質問箱」の質問コーナーにすがったところ、とても分かりやすい解答をいただきました。 感謝の気持ちを表わすとともに、ここに掲載させていただきます。
暦&天文に対する知識はまったくないので、このページに関する質問は受け付けません。というか、されても答えられません。それでも質問する人は嫌っちゃいますよ〜(^_^;)。 「私も調べましたよ〜」などのレポートは大歓迎です。 しかし、暦&天文は難しいなぁ…。 |