遊戯王の謎−謎の18王朝!名も亡きファラオは実在した

最後に笑うもの



アクエンアテン王という一人の王が巻き起こした嵐はその後、どうなったのでしょうか。
この章では、アクエンアテン王とスメンクカーラー王が亡くなった後、いったい何が起こったのかを解説して行きたいとおもいます。

遊戯王から離れて、まじめなレポートになってしまいました。スミマセン






人物年表をずっと横へ見てゆくと、「ホルエムヘブ」という名前が出てきます。
生まれた年は完全に私の推測なのですが、たぶん、スメンクカーラー王と同時期だったと思います。
彼は60歳ほどまで生きたことが分かっているので、ファラオの中では長命なほうだと言えます。

ホルエムヘブって誰?
    彼はずばり、庶民からファラオに登りつめた男です。
    彼の生まれはカイロからナイル川上流にあるヘラクレオポリス出身という以外、あまり詳しい経歴は分かっていません。
    彼が軍人を目指したのは、おそらく家系に軍関係のものがいたとも考えられます。古代エジプトではだいたいの者が世襲制にのっとり、親の職業を継ぐことが多いからです。
    彼も軍人の訓練を幼少から開始して、若くしてエジプト軍の総指揮官となり、シリアやヌビアなどの国境を守っていたようです。
    生来、厳格な気質をもっていたようで、軍隊のなかで泥棒や脱走などがあった場合、即座に打ち首、また、重い刑の場合は鼻をそぎおとし、国外追放にしていたようです。

激しく厳格な性格のヘルエムヘブ…、彼の目からみた王宮はどう見えたでしょうか。
    アクエンアテン王は宗教にのめり込み、晩年は病(脳水腫という説も)にむしばまれ、政治のあれこれを、スメンクカーラー王に共同統治と言う形で代行してもらい、隠居生活のような日々を送っていました。

    また、われらがスメンクカーラー王は、アテン神官団とアメン神官団の間に入り、両者の争いをやめさせるため、テーベに出かけたりと、忙しく過ごしていました。
    しかしそれも軍人であるホルエムヘブにとっては些細な事。彼の頭の中にはアメン・ラー神の復興とエジプトを強大な国へとつくりあげるという野心が渦巻いていたはずです。

人物年表をみると、スメンクカーラー王セト神官ホルエムヘブは同じ年となってます。
まぁ私の作為がここにあるわけですが(笑)。
彼らは同じテーベにいたし、王子は王としての教養を身につけるため、古代神官文字の勉強や軍の教練にも参加させられていたので、幼なじみじゃなかったかと思います。
しかし9歳頃に遷都によって彼らは離ればなれになり、時折、儀式で顔を合わす以外、あまり接触がなくなってしまった…なんて想像してます。


そして彼らが花の青春時代を謳歌しようとした矢先、突然スメンクカーラーが亡くなります
彼のミイラは第55王墓から見つかったことはすでに書きましたが、死亡の原因はミイラを調べても分かりませんでした。あまりにもミイラの痛みが激しく、触ると崩れ落ちてしまうほどミイラの傷みが激しかったからです。

その後を追うようにアクエンアテン王も亡くなります。
同じ年に二人の王が突然なくなる…、この異常事態はいったい何を意味しているんでしょうか。

二人の王がなくなり、次に王位を継いだのが、まだ9歳という年齢のツタンカーメンでした。
彼はアクエンアテン王と側室のキヤとの間の子だと言われています。

そして、彼はアンケセンパテンと結婚します。
彼女はアクエンアテン王とは血のつながった娘でしたが、その父と結婚し、間に子供までいました。(近親相姦だねぇ)
そしてアクエンアテン王がなくなると、今度はツタンカーメンと結婚をするのです。
これはスメンクカーラー王と同じで、王位継承権を持つ王女と結婚しなければ、王位こつけないためです。
     : 完全に王と正妻の間の子であれば、王女と結婚しなくても王位にはつけます。スメンクカーラーとツタンカーメンは側室の子だったので、王女との婚姻が必要だったのです。

    近親相姦…、乱れきった血族…という感じですが、王族の血を守るため、よく行われたそうです。

ツタンカーメンは元の名を「トゥトアンクアテン」と言い、アテン神の名前をつけていましたが、即位して2年後、アメン神に帰依した意味を込めて「トゥトアンクアメン」と名前を変えました。現在、私たちが読んでいるツタンカーメンになったわけです。

この改名を見てもわかるように、アクエンアテン王が亡くなると、すぐに人々はアテン神を捨て、アマルナを捨て、メンフィスに移り、アメン神の復興を行います。
    この事態をみると、人々はアテン神を信じていなかったように思えますが、ツタンカーメンは、改名したあとでもアテン神を信じていたようです。彼の墓から見つかった有名な黄金のイスの背もたれには、アテン神を描いたものがあることからもうかがえます。
メンフィスへの遷都や、名前の改名等々、幼い王にそんな事ができるわけもなく、その背後で采配をふるったのは宰相のアイでした。

アイはアクエンアテンにも仕え、大蔵大臣としての仕事をこなしていました。

まだアクエンアテンが存命中に巨大な墓をアマルナに建造し始めているところから、権力志向の野心家という印象が私の中にはあります。
それでも彼はツタンカーメンをよく助け、エジプトの国力も豊かになり、このまま新しい王のもとで平和が続いて行くかのように思えました。

しかし、突然ツタンカーメン王が18歳の若さで亡くなったのです。

    ツタンカーメンのミイラを調べると後頭部に殴られた跡が残っていて、直接の原因とは言えないが、何らかの因果関係があることは分かっています。そう、ツタンカーメン王は暗殺されたのです。

ツタンカーメンが亡くなった後、王位についたのは、なんと宰相であった「アイ」でした。

驚くことに彼はツタンカーメンの妻だった「アンケセンパテン」を嫁にしたのです。
    (これで3度目の結婚……。男運悪い…。同情…。)
    アンケセンパテンアイと結婚するのが嫌で、ヒッタイト国に手紙を書き、王子を婿として迎え入れたいとお願いしたそうです。しかし、その王子もエジプトに向かう途中暗殺され、彼女は仕方なくアイと結婚しました。

    これって誰が見ても「アイ」があやしいですよね。自分が王位につきたいがために、ツタンカーメンを暗殺したのではないかと思えてきます。
    いや、ツタンカーメンだけでなく、われらがスメンクカーラー王の死にも関わっているのではないかと疑いたくなります。
しかし、悲しいかな、アイは在位4年でその生涯を閉じます。
高齢のアイにとって王の仕事は意外に激務だったのかもしれません。

そして次に王位を継いだのが、ホルエムヘブです。
    軍の最高司令官だったホルエムヘブが王位につく……。こんなことを誰が予想したでしょうか。
    王家にはもう王位を継ぐものがいないのです。みんな死んでしまったのです。この事態は偶然でしょうか。それともアメン神が下した罰なんでしょうか。

彼が王位につき、まず始めたのがアメン神殿の修復です。新しく神官も一新し、壁面を装飾しなおしました。

そしてなにより恐ろしいのは、壁面を装飾し直す際にアクエンアテンスメンクカーラーアイツタンカーメンの4人の名が刻まれているすべてのレリーフを削り落とし、その存在を抹消したことです。
    この名前抹消ため、この4人のファラオは存在さえ長い間疑われてきました。
      なんでこんなことをするのかなぁ…。仮にも主人として使えてきた人々なのに。
      名前を消すことは、死者への最大に冒涜なのを知ってるはず…。
      彼の憎しみはどこから生まれてきたのでしょうかねぇ。
      スメンクカーラー王とは幼なじみの関係なのに…。

ホルエムヘブは王位につくと同時にスメンクカーラーの母親である「ムトネジュメ」と結婚します。
計算してみるとムトネジュメはすでに40歳をはるかに越えていて、これは王位の正当性を主張するためだけの結婚であることが分かります。


そんな男なのです、ホルエムヘブは………。





 ホルエムヘブの不埒な悪行三昧!! 


アイは王家の谷の西にあった、ツタンカーメンが造らせていた墓を自分の墓として使用しました。
豪華な壁画もバッチシ施され、楽園の門を叩くのは保証されていたかに見えました。
しかし、1816年に発見された彼の王墓はひどく破壊されていました。

石棺はバラバラに破壊され、壁画と銘文中のアイの像は切り刻まれ、名前は消されていたのです。王そのものと考えられていたシャブティ像も見つからず、アイのミイラさえ、未だに行方不明なのです。

この破壊行為を命じたのはホルエムヘブ王だったようです。

宰相アイは、ホルエムヘブが軍にいたころから、勢力を二分する強力なライバルでした。当然、憎いキモチもあったでしょう。

彼はアクエンアテンスメンクカーラーツタンカーメンアイの名を神殿から削り取るという悪行もしましたが、不思議なことにツタンカーメンの墓だけ無傷のまま残しました。
残すだけでなく積極的に保護し、修復までしています。

なぜ、ツタンカーメンの墓だけは手をつけなかったのでしょうか?
    「消されたファラオ」の作者はこう考えたようです。
       「王を閉じこめる力を持つ者は王だけである」
    名前を消され、ミイラを女性の姿に変形させられたことによって復活できなくなった、さまよえる王の魂封印することができるのは、やはり王のチカラをもってしかなしえない!!と…。




 私の考え(総括っぽい)……………………
    ぶっちゃけて書きますと、アクエンアテンわれらがスメンクカーラーツタンカーメンも、アイが暗殺したんじゃないかと思います。
    勿論、裏でテーベのアメン神官団が彼に手を貸しているのを前提にしてそう言い切ります。

    アイは年寄りだから、「自分が王位についてもしょうがない、死ぬまで王に忠誠を誓おう…」と悟っていた、という意見もありますが、人間、最後の最後まで権力が欲しいモノです、求めるモノです。

    それを横で見つめていたホルエムヘブ…。
    止めることもせず、助けもせず、この若くして総司令官にまで登りつめた男にとって、アイの行動は自分自身そのものであり、アイがいなければ自分が同じように王たちに手を下していたかもしれないと思っていたでしょう。
    しかし、彼はじっと待っていたのです。アイに死が訪れることを…。

    ホルエムヘブは四人の王の名を抹消し、アメンヘテプ3世の次に自分が王位についたというを歴史に刻ませました。

    どうしてそんなことをしたのでしょうか。アテン神の存在が気にいらなくて、史実から抹殺したかったのかもしれないし、血なまぐさい権力争いの痕跡を一掃したかったのかもしれません。

    彼はその後、30年間も王として君臨し、思うままに強いエジプトを作り上げていきました。
    しかし彼にも血をつないでくれる子供がなく、自分の部下であったラメセス1世にその王位を渡しました。そしてここからエジプトは第19王朝へと進むのです。




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