遺跡馬鹿−遺跡レポート・イギリスとアイルランド |
◆ ストーンヘンジ |
なが〜い間、訪問したいと切望していた遺跡だったので当日は38度の高熱にもかかわらず、熱い調査をしてきました。 ソールズベリーにはユースホステルがあり、バス会社のパンフレット等も置いてあります。 そこでまず宿で情報収集し、町のインフォメーションやバス乗り場でも更に情報を収集するといいでしょう。 バス停からストーンヘンジへは2階建てバスが出ているので、早めに行って2階の1番前に座りましょう。 バスは1時間に1〜2本しかないので油断しないように。特にエイヴベリへも行こうという遺跡馬鹿さんは一番バスを狙いましょう。 その際、バス会社発行の一日乗り放題パスがお薦め。ストーンヘンジ→エイヴベリ→ソールズベリをまわる場合には途中下車して乗り換えが必要になるので、パスがあると安上がりだし、気も楽。 さていよいよバスが走り出し、バスの左手にストーンヘンジがあらわれます。感動しているうちに停留所に到着。 みやげ物屋で日本語ガイドブックが買えるのでそれを購入し、また無料ガイドフォンも借りるのを忘れずに。 入場チケットを買って中にはいると目の前には憧れのストーンヘンジがロープの向こうに建っています。 とにかく距離があるので双眼鏡は必要です。 石の一つ一つを丁寧に観察すると、石の切断面が鋭角的なのにビックリ。 当時は石斧程度の道具しかなかったはずなのに石のほぞをくり抜いたり、石を横につないだまぐさ岩の結合面もとにかくピッタリと造ってあって当時の職人魂に脱帽。 |
ブルーストン等は巨石の内側に立っているので、説明書を読んでもいまいち構造が分からず、特に「祭壇石」は肉眼では発見出来なかったのが残念。 巨石の下に埋まっていると本には書いてありましたが、その巨石さえも分かりませんでした。 調査した日は夏至でした。昔ならドルイド教の信徒がストーンサークルの回りで踊りとか踊っていたらしいですが、今は禁止されてしまい、ちょっと寂しかったです。夏至の日に太陽がヒールストーンという石の辺りから登り、その朝日はストーンヘンジの巨石の間をまっすぐに通っていく、そのため天文観測の場所という説もあるほどです。 しかし、用途は謎のまま。 おみやげ物屋ではTーシャツ、マグカップ、帽子、マグネット、関係書物、イメージテープ等々買えます。 私はストーンヘンジをかたどったマグネットとガイドブックを買いました。 |
◆ エイヴベリー | バスで遺跡を目指していると、突然、整然と並ぶ石の柱が目に飛び込んできます。 3列ほどに並んだ石の列はまるで軍隊のようで、これから向かう場所が特別の意味を持っているのではないかという期待に胸が弾みます。 バスは一軒のパブの前で停まり、わらわらと観光客が降りていきますが、そこには案内板もみやげもの屋もありません。 ここの遺跡の特徴は二重にめぐらした巨大な同心円状の土手と、その上に置かれた巨石群です。 溝の深さは最大15mもあり、巨石は一つの村をぐるりと囲んでいるのです。 この溝からは建造に使われたアカシカの角で作ったつるはしや、牛の肩胛骨で作ったシャベルが発掘され、検査の結果、この遺跡が使用されていた時期は紀元前2600年前から前1600年にかけてということがわかったそうです。 |
| 観光客はその土手に沿って遺跡を一周します。 ここの遺跡のポイントは「パワーストーン」であること。 私が調査に訪れたときも赤いシャツのおじさんが「ダウンジロッド」と手にして各石を調査していました。 ちょっとだけそのおじさんと話をしました。 「3つ目の石にはパワーがあるよ」と教えてくれたので、近寄ってみました。 その石もとても大きく、触ると意外にやさしい感触がありました。しかし熱のためか、何も感じられません。ちょっと残念でした。 おじさんいわく「近寄るとばーっと棒が開くんだよ」 地下に謎の水脈があると主張する人もいます。 |
◆ タラの丘 | 遺跡は不便な場所にあるのでバス会社のツアーに乗りました。 ツアーはまず遺跡に面した教会からはじまります。 ここは教会ですがビジターセンターも兼ねていて、中でスライドショーをしてくれます。 英語なので内容は良くわからなかったのですが、イラストなどでタラの丘の歴史を説明してくれます。5000年前の遺跡です。 その教会の受付で絵はがきや古い資料が買えます。 他では買えないので欲しければここで手に入れておきましょう。 さて丘へ向かいます。 緑の草で覆われた丘は一見するとただの丘で、特に城壁やら居住跡があるわけでもありません。 しかし二重の土手がこの丘を囲っています。 航空写真で確認すると完全な円ではなく、すこし卵形をしています。 また、同じようなリングが近くにもたくさん残っているのが分かります。 牧場が多い地域なのでこのような航空考古学が発達しています。 日本では起伏が激しくなかなか進んでいないようですね。 丘のてっぺんには墓標のような石柱が立っています。 今は丸みを帯びているますが、当時はオベリスクのように角張っていたと思われます。 歴代の王がこの場所で王位を宣言したという伝説が残っています。 |
丘のとなりにはぽつんと円墳が残っています。 日本の古墳とよく似ているますが、内部は狭いです。 鉄格子があって中には入れないようになっています。 のぞいてみると、向かって左側の岩壁に「ケルトうずまき」が線彫りされています。アイルランドといえば「うずまき(メイズ)」です。 このあたりでは彫刻の題材によく使われています。 私としてはうずとうずのつなぎ目にパワーのポイントを感じますが、どうでしょう。 追伸:大ベストセラー「風とともに去りぬ」のなかでヒロイン「スカーレット・オハラ」が「タラへ帰ろう」という、あの「タラ」はここが原点です。 オハラ家はアイルランドからの移民という設定。ふるさとの土地の名を新しい土地にそのまま名付けるという行動はよくあることです。 アイルランドの「タラの丘」も、ぐるりと広い景色が見渡せる、素敵な場所です。 |
◆ ニューグレンジ バス会社のツアーで行くと最後にまわるのがここ。まず立派なビジターセンターで降ろされ、簡単なスライドでこの辺りの歴史を勉強します。 このセンターではみやげも売っているので、帰りには忘れずに立ち寄りましよう。 さて次はセンター専用のバス停で遺跡への送迎バスを待ちます。 ここからはニューグレンジ以外にノウス&ダウスへの送迎バスもありますが、ツアーに乗っている以上、勝手な行動がとれず行くことが出来ませんでした(涙)。 さてニューグレンジ遺跡は私有地を通るため、こんなシステムになったそうです。 バスが遺跡につくと小さな小屋があり、ここは昔のチケットオフィスだったところ。今では絵はがきや書籍を対面式で売っています。 ニューグレンジは撮影禁止なので、ここで絵はがきを買うことを勧めます。 遺跡に着いたからと勝手に中に入ることはできず、レンジャーという案内人の指示で動かなければいけません。 まずたっぷり英語で遺跡の説明を受けます。遺跡内部には1グループづつしか入れないので、順番待ちをじっとガマンする。 やっと順番が来て中に入るがぞろぞろ続いて進まなければならないのでゆっくり鑑賞する気持ちのゆとりが生まれません。 奥の部屋は割と広く、広間と3つの小部屋に分かれています。 むかって右側の部屋には台座付きの石臼が置かれています。 真ん中には何もなく、左側には台座なし石臼が置いてあります。 どの壁にもあのうずまきが刻まれています。それぞれ彫られている場所が違うのがちょっと気になります。 天井はせり出し式で、6mの高さがあります。 その天井にはあちこちに模様が彫られています。たぶん石を組む前に彫ったと思われます。 よく見ると石のひとつひとつに石斧の跡が残っているのが感動的です。 また外に置かれた飾り石の表面には小石がポロリと落ちた跡のような穴が多くあり、「あなぼこ教(後日説明)」の存在もうかがわせます。 ここの目玉は冬至の日に太陽光線が一番奥の部屋に届くように設計されていることです。 レンジャーが石室内の照明を切って再現してくれます。ほのかな明かりが内部を照らし、その明かりに照らされる自分は意外に冷静で、「この明かりにどんな意味があるのだろうか?」と自問自答してました。 |