遺跡馬鹿−マルタ島は遺跡だらけ |
ハジャール・キム(HAGAR QIM)
名前の由来は「聖なる石」「崇拝の石」から来ているそうです。 ここからは首のない女性像がいくつか発掘されていてこの神殿が女神を祀っていたことをうかがわせます。 よく見ると複雑に石を組み合わせているところもあり、インカ帝国の石組みを彷彿とさせます。 (図1、図2) 入口右手にある巨大な石は幅7m、厚さ0.6m、重さ20トン!(図3)。これ以外にも 大きな石をうまく壁石として利用しています。 反対側の側壁にも巨大な石が使われていますが、こちらは風化がはげしく、ボロボロといった印象です。 現在は遺跡保護のため、中央通路しか歩く事が出来ません(それも板の上)。ちょっと残念です。 遺跡内に残されている細工されている石は生け贄を置くための台ではないかといわれています(図4、図5)。 | |||||||||
ムナイドラ(MNAIDRA)
ハジャール・キムよりも古く、入口右手の神殿はマルタ島の中で一番古いとされています。 ここではテーブルのような祭壇が目につきます。(図1,図2) テーブルはまっすぐに削られ、表面はなめらかに磨き上げられています。 厚みのある巨石を丁寧にくりぬき、くぐり戸のように使用しているのがムナイドラ神殿の特徴です。(図3,図4) しきり壁にはマルタ独特の「ボツボツ穴」で飾られています。 足元には目的不明の彫刻などもあり、なかなか楽しめます。(図5)
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タルシーン(Tarxien)
狭い敷地に3つの神殿が建てられています。敷地のすぐ隣には鉄筋のアパートが建っていたりして、その違和感も楽しいです。 現地に残る彫刻群はほとんど模造品で、オリジナルは考古学博物館に展示してあります。 入口に入るとすぐ、スカートをはいた、太った女性像の下半身像が目に入ります。(図1) マルタ一帯はこのような女神像が数多く出土しています。そのなかでもこの像は一番巨大です。 遺跡には直径1.1mもある火鉢があったり(図2)、動物を彫り込んだ壁(図3)などもあるので、見応え十分です。 神殿の片隅には、当時、石を運んだ際に使用された丸石が積まれています。(図4) 個人的には神殿外部に残る、ストーンサークルや巨大石造物などに興味があります。(図5,6,7) レリーフのうずまきもいろんな解釈がされていて興味深いです。(図8) | |||||||||
タ・ハジュラット(Ta’Hagrat)
それもそのはず、鉄柵には特殊な南京錠がかけられているので、見学と行っても柵越しに見るしかありません。 今から紀元前3800から3600年位に建造された神殿です。 ここからは当時の神殿の様子を教えてくれる土製の神殿模型なども出土しています。 規模は小さいですが、ひとつでも多くの遺跡を見たい人は行ってみて下さい。 Mgarrまでバスで行って、カテドラル近くで下車し、バスの来たほうへ50mほど戻って右手の道へ曲がるとあります。 | |||||||||
ガール・ダラム洞窟
奥行きはそんなにありませんが、マルタの胎内をのぞける絶好のポイントです。 | |||||||||
マルタ考古学博物館
目玉はたくさんあるのですが、まずは別室に鎮座している「眠れる女神」。 スポットライトを浴びながら長い眠りを続ける女神は意外に小さく、最初はフーンという感じでしたが、腰の丸み、腕の太さなどなど、その迫力が次第に自分に迫ってくるのを感じ、 気が付くとみやげ物屋でレプリカを買ってました。 もう一つの目玉は、今は封鎖されてしまった「ハル・サフリエリ・ハイポジューム」の復元模型です。これが意外に良くできていて、感心しました。 石に刻まれた螺旋などを見ていると、「アイルランドに似てるな〜」と思いました。ドルメンの存在を考慮すると、つながりがなかったとは言えないわけですが、どうなんでしょうか。 | |||||||||
ローマ古美術館
ここの目玉はなんといっても立体的に模様が盛り上がって見えるという、とっても高度な技術が施されたモザイクです。 ちょっとホコリをかぶっているので、線がはっきりしないのですが、それでも真正面に立つとあら不思議! 迷路のような壁が浮き上がってみえるのです。 ローマ文化って本当に成熟していたのだな〜と改めて思いました。 それと写真のみの展示ですが、このあたりは昔は墓地だったらしく、多くの遺体が見つかっています。その写真はなかなかすごいです。 |
| ジュガンティーヤ(GGANTIJA)
神殿は2つの部分に分けられます。 テーブル状の祭壇や壁の装飾としてあばた状に点を穿っていく方法はムナイドラ神殿に似ているといわれますが、両者には直接の関係はないと言われています。(図1、図2) 神殿の奥へ進み、祭壇の前に立つと、壁がのしかかってくるように感じます。 これは8mの高さを持つからではなく、持ち送り式で天井が作られていたためです。 屋根自体は木か皮で作られていたといわれています。 入口近くには巨石を運ぶ際に使われた「丸石」が放置されています。(図3) 同じものがタルシーンにも転がっています。 日本だと丸太をコロとして使っていましたが、こちらは石の方が手に入りやすかったということですね。 今は風化してボロボロですが、当時は内壁を漆喰で塗り固めてあったそうです。 遺跡への途中、古代の墳墓がぽっかり口をあけています。ここからは古い人骨が発掘されました。(図4) また、柱を立てたと思われる穴ぼこが神殿の床に残っていました。(図5)
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タ・チェンクのドルメン(Ta Cenc)
ゴゾ島のバスターミナルから「SANNAT」まで歩いて40分。さらに看板を頼りに進めば、それほど迷わずにたどり着けます。 荒涼としたこの場所になぜドルメンが建造されたのかは分かりませんが、状態の良いのは1つだけで、あとは無惨にも崩れています。 ドルメンの上石には「穴ボコ」は見つかりませんでしたが、叩いてみると金属質の音がしました。 これは特別の石をわざわざ運んできたことがわかります。 正直な話、こんなところでドルメンに会えるとは思っていなかったので、感激しました。
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考古学博物館
ガール・ダラムから出土した5千年前の土器片もありました。 2階は人骨がいっぱいでした。当時は焼いた骨を壺に収めていたようです。 その壺が骨入りで展示してあります。また、かめ棺に収められた人骨や手箱ほどの大きさの石棺に入った人骨などなど、たくさんありました。 |