骸骨塔-スカルタワー(Cele Kula)


オスマンの圧制に反旗を翻した反乱軍を容赦なく惨殺し、
力の差を見せつけようとドクロで塔を築かせたという歴史の過酷さを伝える記念碑。


    ニシェ(NIS)でオスマン帝国への反乱が起きたのが1809年
    その戦いは「チェガルの戦い」と呼ばれています。
    オスマン帝国は後世への見せしめのため丘に塔を築き、反乱軍の頭蓋骨952個を埋め込んだそうです。
    その塔は「チェレ・クラ」と呼ばれ、NISの町はずれに今も残っています。


    【行き方】
    場所はセルビア南部の都会NIS(ニシェ)にあります。
    ベオグラードのバスターミナルから頻繁にパスが出ています。
    片道2時間半ほど。高速を使うので快適です。
    NISのバスターミナルから公共バスに乗りますが、どれが行くのか良く分からないので運転手に聞くと良いです。
    バス停の名前は「Cele Kula」チェレクラと呼びます。

    南は天気が良いです。気温も高く午後5時でもこの明るさです。
    バスターミナルについたら帰りのバスを調べ、すぐに道路を渡り、反対側のバス停に向かいます。
    何本もの市バスが止まるので、運転手にチェレクラへ行くかと尋ねます。
    バスを降りたらチケット売り場へ向かいます。
    橋を渡る前にチケットを買います。
    ここでは英語の本や絵はがきも買えます。
    鍵を持ったお兄さんの案内で骸骨塔へ向かいます。
    正面の礼拝堂の中に塔が保管されています。
    無口っぽいお兄さんでしたが、質問したらいろいろと詳しく教えてくれました。
    礼拝堂に到着です。
    可愛らしいメルヘン・イエローの外壁ですが、中は…でした。
    塔です。
    髑髏がずらっと並んでいます。
    この塔の存在を知った衝撃は今でも忘れませんが、実物はもっと強烈でした。
    反乱の見せしめとはいえ、ひどいことを考えるものです。
    よく見ると、刀傷が眉間に残る頭蓋骨もありました。
    その横にはピストルの弾が撃ち込まれた頭蓋骨も…。
    空になった穴が多いですが、やはり長い年月の間に転げ落ち、なくなってしまったそうです。
    この辺の頭蓋骨は大きめです。よく観察するとサイズが違うことに気が付きます。
    若い反乱兵もいたんでしょうね。
    塔は四角形で角はこんな形になっています。
    上の方にも頭蓋骨!
    塔の最上部には反乱軍を率いた司令スティーブン氏の頭蓋骨が置かれました。
    彼の頭蓋骨から剥がした頭皮は綿を詰め、イスタンブールに送られたそうです。
    昔の骸骨塔は屋外にむき出しのまま建っていました。
    犠牲者の親族が頭蓋骨を持ち帰ったり、風雨によって転がり落ちてしまうことも多かったそうです。
    今、残っているのは56個だそうです。
    上部がかなり崩れ、崩壊しそうだったので1878年に今の礼拝堂が建てられました。
    ニシェの街です。
    明るくて活気を感じました。
    バスターミナルの駐車場は『ニシェ要塞』と隣接していました。
    オスマン帝国時代に建てられ、今も美しく残っています。


    リーダーの骸骨スケッチ



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