ル・ピュイ・アン・ヴレイ − ドルイドが残した岩

    サンチャゴデコンポステーラへ向かう巡礼の道。
    ここはそのいくつかある出発点の一つです。
    町中では大きなリュックにホタテの貝殻をぶらさげた巡礼者を多く見かけました。
    ここの見所は奇岩の上に建てられた教会とマリア像です。


    ノートルダム大聖堂とマリア像


    旧市街は古い街並みが残り路地にも趣がありますが、初めて訪れる旅行者は必ず迷います。
    サンチャゴ・デ・コンポステーラの象徴「ホタテ貝」を見ると、ここが巡礼地なのだと実感します。 街のシンボル「ノートルダム・デ・ピュイ大聖堂」。
    ル・ピュイの巡礼道はここから始まります。

    大聖堂の中にある石がお目当ての「ドルイドの石」です。
    伝えによると、この辺りにはケルト人が住んでいて、この石もケルト人が祀っていたそうです。
    『熱病の石』とも言われ、この上で寝ると熱が下がるんだそうです。
    花崗岩で出来た石の上で寝れば体温は自然と下がるような気がしますが、この黒い石の存在感は他になく、奇跡の石と呼ばれるのにふさわしい威厳を感じました。
    まぁドルイドとは関係ないと思いますが、ケルト人が残した石のベッドは見たことがなかったので貴重だなと思いました。
    アップで写してみましたが、恐ろしいほど表面がなめらかです。
    長い間、信仰の対象として使われてきたことを伺わせます。
    同じ大聖堂内に祀られている、「黒いマリア像」です。
    フランスにはいくつかの黒い聖母があるそうですが、「なぜ黒いのか?」という答えはまだ見つかっていないそうです。
    ケルト人の影響、遠くエジプトのイシス女神への信仰等々、諸説あるそうです。
    大聖堂の出口から外を見下ろしてみました。
    階段下まで家が迫っています。
    大聖堂の裏手には山の頂上に聖母子像が飾られています。
    ものすごい坂道を上るので大変でした(背中には5キロのリュック)
    ロシアと戦ったクリミア戦争(1860年)で、なんとフランスはロシアから大砲を200門もぶんどったそうです。
    それを鋳つぶしてマリア像を造ったというのですから、当時の人たちのロシア憎しの気持ちを思うとマリア像を見上げる首筋にもチカラがはいります。
    マリア像が建つ頂上には昔から崇拝の対称となっていた巨石が残っています。
    よく見ると小さな階段がついていて、この石のてっぺんに登り何か儀式をしていたように思われます。
    次は向かいのサン・ミッシェル岩山に建つ「デギィユ礼拝堂」へ向かいます。
    写真はデジカメ機能の「ミニチュア機能」で撮影したモノです。
    急峻な岩山に階段が続きます。
    これが礼拝堂です。
    小さくて素朴な感じですが、内部はすごいです。
    狭い空間が広く感じられるのは何故でしょうか。
    丸みを持った柱が室内の美しさを強調しているようでした。
    ロマネスク建築様式で建てられています。
    天井の一部には美しい壁画も残されていました。
    階段の途中にいくつか埋葬用の穴を見ました。これも「天空の墓」と呼べるかもしれません。