遺跡馬鹿−ペルー(リマより下)の遺跡と博物館


所在地 遺跡名  
ピスコタンボ・コロラド

ピスコからタンボ・コロラドへは乗合タクシーを探して、約1時間半の道のりです。
心細げに車に乗っていると、「ここだよ」の一声で、降ろされます。
確かに城壁のようなものはあるが、入口は? と、思っていると、民家の扉が開き、若い女主人が出てきて、チケットを切ってくれます。


「博物館もあるよ」というので、隣の小屋へついて行くと、殺風景な部屋に幅60センチ、高さ160センチのロッカーが一つ置いてありました。
「???」と首をかしげる私に女主人は無表情でロッカーの扉を開けると、そこには文様のあまりないインカの土器と一個のしゃれこうべが。。。
「世界一、小さい博物館」はここにありました。

「タンボ・コロラド」とは「赤い旅籠」の意味です。
名前の通り、この遺跡は構造じたいは巨石などなく、土造りの平凡さですが、鮮やかな色彩が残っていて、とても綺麗です。

ピスコ
バジェスタス島
カンデラブラ(燭台)

パラカス半島ペヘレイ岬に、高さ183m、深さ50センチに掘られた地上絵があります。
この地上絵は遥か20kmの海上からでも見えるそうです。
この地上絵をみるためにはバジェスタス島へのツアーに参加しなければならないのですが、このツアーも楽しいです。オタリアのコロニーは必見。
イカ考古学博物館5000個の頭蓋骨に会いに行きました。
ガイドブックでもおなじみの「頭蓋変形」された頭蓋骨や脳外科手術された頭蓋骨など、盛りだくさんであなたをお出迎えしてくれます。
気になったのは頭蓋骨が陳列されている棚の上にのっていた、「ビニール袋に入れられたミイラ」
巨大な「イカとっくり」に見えました。本当です。
おいしそうとは思わなかったけど。。。
その他の目玉は恐ろしく丁寧に作られた「ナスカ帽」、「ミイラ袋」などなど。
あと、ナスカの地上絵と同じ動物が描かれた壺は必見。
この壺は大事です。
なにしろ壺を作った人々と地上絵を描いた人々は、同じである可能性が高いことの証明だからです。
ナスカナスカの地上絵遺跡好きなら死ぬまでに一度は飛んでみたい空でしょう。
ナスカに近づくと、ミニバスと並行して走るバイクに「?」と思い、バスからおりるとその運転手から「飛行機乗らへんか?」と、さっそく客引きが。
気が付くと10人ほどのペルー人に取り囲まれているのに気が付きました。
値段は運次第。
セスナは6人乗り。
お金を払うときに「パイロットの横にして」と、キツク言ったのだけれど、座席は体重で割り振られるので、前に座るには体重のある人がチャンスあり。
人それぞれ感動するところが違うでしょうが、私はどこまでもまっすぐに伸びる直線が好きです。
壮大な高い建物を造る根気より、この地上絵のように、目に見えないものを作り上げる根気の方が私には衝撃でした。
ナスカナスカ墓地

飛行機のチケット代に含まれていました。飛行機酔いでふらふらでしたけど、墓地に着くと元気100倍になりました。
ここには人骨が累々と散らばっています。
墓荒らしは布や土器などを持っていきますが、人の骨は価値がないのでほったらかしのままです。
あたりには日にさらされ、軽石のようになった人骨がぽつぽつと観光客を迎えています。
ここの見所は、散乱した人骨を踏めるということでしょうか。
ナスカパレドネスナスカの町から歩いて約20分ほど。「ペルーの秘所ひしょ話」で出てきたインカの遺跡です。
遺跡じたいは小さいですが、このあたりは畑が多く、こんな砂漠でよく作物が育つな〜と感動しました。
私は行かなかったのですが、近くにインカの井戸があり、その用水路を今でも使っているのが、この畑たちなのです。
ナスカマリア・ライヘのやぐら
(遺跡じゃないけど)
ピスコ方面へ行くミニバスを捕まえ、途中で降ろしてもらうと簡単。
やぐらの下では川石にナスカの図象を彫り込んだ石を売ってます。
ここからは「手」と「木」の一部が見られます。
地上絵とはこんなに大きいのかと再確認できます。
また近くの丘へ行くとまっすぐに伸びる直線の地上絵が見られます。
アレキパトロ・ムエルト

今から1200年前の岩絵。
とにかく広く、案内板もなく、探し出すのにとっても苦労した遺跡。
川に削られた山裾に大きな岩がごろごろしている様はまさに「牛の死体」です。その一つ一つにイナズマやリャマ、四角い顔をした原住民の姿が浅彫りされています。
直線は雨をあらわし、波線はイナズマ。
生け贄の動物達であるリャマや犬の絵を奉納し、神の使いであるヘビやジャガーを奉っている。。と、私は思います。
ちなみに朝一番のバスでトロ・ムエルトへ向かい、夕方5:30のバスを逃し、真夜中12:30のバスでアレキパに戻りました(アレキパ着4:00頃)。
真夜中に乗り込んだバスの中は一生、忘れられない思い出です。
セチンセチン

カスマのバス会社に荷物を預け、セチン遺跡へ。
観光客のいない、寂しい遺跡でした。
ここの見所は壁に彫刻された人物群です。
独特の線、表情。ほとんどの像は死んだ生け贄や戦死を描写しているそうです。
目をつぶっている像は死人ということです。
こんな彫刻で崇めた神とはどんなものなのか、とっても興味が湧きます。
しかし、遺跡保護のため、神殿内部には入ることが出来ません。
仕方なく、裏山へ登り、神殿を見下ろしてみましたが、いまいち、良く分かりませんでした。
このあたりは多くの遺跡がまだ未発掘のようで、いずれはこの神殿を築いた人々のことが分かるようになるでしょう。
クスコ12角の石 アトゥン・ルミヨク通りにあるので、探してみよう。
近くの通りには13角の石もあります。
人気のロレト通りも良いですが、個人的にはナサレナス教会の横の通りの方が、当時の雰囲気があって好きです。
クスコサント・ドミンゴ教会
(コリカンチャ=太陽の神殿)

キリスト教の教会内部にすっぽりインカの王宮がおさまっている、不思議な空間がそこにあります。
外から見るインカの石組みは丸みがでるように積まれ、マチュピチュの太陽の神殿と同じようになっています。
インカの部屋は屋根さへ葺けば今でも使えそうです。
見学中は「スペイン人もどうしてこんな素晴らしい建物を壊したりしたのかねぇ」などと思っていましたが、リマの博物館で復元模型を見た時、「さもあらん」と納得。
屋根は茅葺きだったんですね。
当時のスペインと言えば立派なカテドラルをバンバン建てていたわけだから、彼らからすると茅葺きってみすぼらしかったんだろうと思い、「なんで壊した」とは責められないなと思いました。
中央にある井戸は謎の地下通路と繋がっているとか、シャンバラへの入口とも言われていますが、覗いてみると。。。
クスコサクサイワマン

一口にサクサイワマンといっても遺跡はかなり広いです。
クスコのアルマス広場から上がっていくと、けっこう息が切れます。
昔、塔が建っていたところまで登るとクスコの町並みが見渡せる、ビュー・ポイントがあります。
サクサイワマンは巨石を3層に積み上げて造られていますが、もともと手前だけあったものを建て増ししたそうです。
一番大きい石は高さ5m、360t。近づくと見上げるほどです。
夕方、この石の前で瞑想している白人グループを見かけました。クスコではこのような瞑想グループを数多く目撃します。
私はこの大きな石よりも水の神殿と言われる場所にエネルギー感じました。
サクサイワマンの城壁と反対側の石山には滑り台やなぞの階段など、こっちの方が不思議な世界となっています。
クスコケンコー

大きな石を削り、玉座や生け贄の台など、不思議な形をした彫刻群が残る謎の遺跡。
ヘビのような溝が岩肌に削られています。これはここに生け贄の血を流して、吉凶を占ったと言われています。
生け贄の台は岩の割れ目にあり、とっても気持ち悪そうな雰囲気です。
台は長い間使われたのかツルツルしていて、更に恐怖をあおります。せっかくあおられたので生け贄の台に寝て見ませんか。私は寝ました。
クスコプカプカラ

小さな遺跡なので、特に印象が残りませんが、唯一気になるのは、「水路」です。
遺跡の道路近くに水汲み場が残っています。道路の向こうに水路跡が残っています。
道路が分断しちゃったのですね。
クスコタンボマチャイ

「聖なる泉」と呼ばれるこの遺跡は豊富な水がジャンジャン湧き出てくる所です。
水汲み場を観察すると一本の水路から2本の流れを出すための水分石がみごとな直角石で、見て、触ってビックリです。
全体的に舞台のような造りになっていて、石組みにもどことなく女性的な感じがします。
クスコ近郊 ピキリャクタ

個人的にとても興味のある遺跡です。
マチュピチュよりも謎の深さでは優っていると思います。
でもあまり訪れる人が少ないので残念です。
ティワナコ末期の遺跡と言われています。
ティワナコ文明はこのアンデスを北上しつつ拡大し、ペルー中部のアヤクーチョで「ワリ」という新しい文化に生まれ変わったという説があります。
でも分かっているのはそれだけで、どんな社会だったかなどは依然として不明だそうです。

この遺跡、とにかく広い。そして瓦礫を積み上げただけなのに良く保存されていて、技術の高さに脱帽です。

近くにはインカの門が残っています。(下の写真)

クスコ近郊ティポン

山の上のそのまた上にある遺跡。

この遺跡の特徴は
  • 住居跡よりも段々畑が多い。
  • 水路が段々畑の隅々にまで張り巡らされている。
  • 今も豊富な水量を保っている。一応飲めました。
  • 水が流れている敷石がとても精密に加工されている。
  • そして何故か源泉のところに小魚が泳いでいた。何故?
クスコMUSEO HISTORICO REGIONAL

周遊入場券で入場できます。
ここではチャビンの恐怖の顔一杯土器とかモチーカ、チャンカイ、チムーなどの定番を見ることができます。
ナスカのミイラもあります。
ここの目玉は1925年に撮影された「マチュピチュ」の写真。
今のような修復がなされる前のマチュピチュが撮影されています。必見です。
クスコ近郊サイユイティ
クスコからアバンカイ方面へのバスで4時間
直径約4mの丸い巨石の上に宮殿や動物などなど、都市がまるごと彫刻してある不思議な石塊。
チンチェーロチンチェーロ以前はインカの城があった所。今は教会が建っています。この教会、内部に絵が描かれていて、とても美しいです。
日曜には地元の人の市が立つので、この日に訪れると楽しいと思います。
チンチェーロ行きのバスはピサックなどと同じバスターミナルから出ます。
遺跡じたいは特筆するような建造物はありませんが、町中に今でも残る水路の跡や城跡から見渡す景色の良さなどが好印象です。
今は簡単に行けますが、古本で見つけた「呪術の世界ー秘境チンチェーロ(三浦信行著)」、こんなタイトルの本が出るほど1962年頃は不便だったようです。
ピサックピサック

インディヘナの市が立つことで有名。
おみやげも安く買えます。
この遺跡はインカ文化の全てがコンパクトにまとまっていて、とても勉強になるところです。
インカ人の墓も裏山にあります。

写真はピサックで一番神聖な石です。

ウルバンバ近郊モライ

標高3500mにある同心円状の段々畑。
すり鉢状の地形を利用して、4つの渦巻きが作られている。
一番大きいのは10段、次のは7段など。
見た目には闘牛場か劇場という感じだが、最近は段差を利用した植物試験場の説が確定したようで、トウモロコシが植えられていた。
ウルバンバ近郊塩山
(遺跡じゃないけど)

人気のない道を登ってゆくと、突然、白い段々畑が目の前に。
海から離れたこの地でこんな塩田があったとは。。我が目を疑いました。
さっそく市場で買ったトマトを塩水につけて頬ばると、至福のひとときが。
どこから流れてくるのかと上へと登ってゆくと、小さな教会の隣に源泉が。
うさぎの巣穴みたいなところから、ドボドボと音を立てながらアンデスの水がほとばしりながら流れ出てきます。
アンデスとは豊潤な地だと再認識。
オリャンタイタンボオリャンタイタンボ

祭があったりで、2週間近くも滞在しました。
ここも遺跡の中に村人が住んでいるところで、何日いても飽きませんでした。
オリャンタイタンボの見所は6個の巨石がぴたりと接合している屏風岩と、さまざまな仕掛けをこらしてあった水路、沐浴場でしょう。
ここでこのホームページを見に来てくれた人に面白ポイントをご紹介。
オリャンタイタンボ村の入口まで降りて行くと、街道と並行に流れるウルバンバ川にまたがる橋を見ることが出来ます。
この橋じたい趣があって楽しいのですが、橋の土台はインカの石組みなのです。堤防もインカの石組みで出来ていて、これはとても貴重なものです。
是非、足を延ばして実際に見て下さい。
プエンテ・ルイナスマチュピチュ

ペルー観光の目玉はやはりマチュピチュでしょう。
高山病の人には勧めませんが、体力ある人は「グッバイ・ボーイの道」の往復制覇に挑戦してみては。
私も朝一番で登り、途中、遺跡管理のおじさんにガンガン抜かれ、
帰りは帰りで、グッバイボーイの邪魔になりながらも、
なんとか往復制覇できました。
少年達の足の速さは「チャスキ(インカ時代の飛脚)」を彷彿とさせるものがあります。
インカ道 トレッキングインカ道
(遺跡じゃないけど)
二泊三日のインカトレッキングは運動不足の私にはとってもきつかったです。
それでも終わってみれば「やりとげた!!」という充実感がヒシヒシと湧いてきました。
インカ道リャクタパタ

川のそばにあるミニ太陽神殿という感じ。
近くの段々畑の遺跡も規模が大きいです。
インカ道ルンクラカイ

工事中だった。どことなくピサックの砦のようでした。
インカ道サヤックマルカ大きな一枚岩が印象的な、割と大きな遺跡。
インカ道プユパタマルカ

大きな石を中心に築かれた砦のような遺跡。
マチュピチュのような水場が良く残っています。
インカ道ウィニャ・ウァイナ

ここの住居跡は2階建てで、簡単に入れないよう、水場も家の入口も大門を通らなければ行けないようになっています。
インカ道インティ・プンクマチュピチュを見下ろす、インカ道最後の遺跡。
ここから見る朝霧に霞むマチュピチュは最高です。
プーノ考古学博物館

規模は小さいですが、ティワナコのケロと呼ばれるコップが数多く展示してあります。
目玉としては汚いけど一応インカ人のミイラがあります。
プーノタキーレ島 小さいけれどティワナコ時代の遺跡があります。
プーノアマンタニ島

タキーレ島の北に位置する島。小さいけれどインカの遺跡があります。
島の一番高い丘の上にインカの遺跡があります。説明とかはないのであくまで推測ですが、貯水池じゃないかなと思います。 でも一見すると、イランにあった鳥葬場と良く似ているので、最初は「え? ここにも?」とビビっちゃいました。
頂上へ行く途中にローマのアーチ方式で造られた門が幾つか残っています。用途は不明ですが、写真を撮るには最高です。
もう一つ、インカの遺跡が島の隅に残っています。
プールのような構造でこれも貯水池だと思います。
この島では船長の家に泊まることになったのですが、台所にある金物といえばやかんだけ。どうやって食事を作るのかなと思っていたら、床に転がっている、すすけた縄文土器のようなもので、煮炊きを始めたのには大感動でした。
薪で湧かした、「ムニュ」というハーブティはトイレの芳香剤のような香りでしたが、さっぱりとした口当たりで美味しかったです。
プーノシユスタニ

資料によれば、始まりはプレ・インカ時代のチュウラホン文化に属する石塔の墓ということです。やがてインカ人もこの埋葬法を引き継ぎ、インカ時代の石塔墓(現地語でチュルパ)は、大きいもので高さ12m、円周約7mにもなるものがあります。
入口は狭いですが、幾つか中に入ることが出来ます。
内部にはインカ独特の壁龕が残っています。 バラバラと立ち並ぶチュルパですが、もとはシンプルに石積みだけだったものを、インカ時代には大きな石を複雑に削って組み上げ、内部は小さめの石で天井や壁を造っています。
他にも「セレモニーの広場」などがあり、この大切な場所なのだと分かります。
ちなみにウマヨ湖を望むこの遺跡は、日本の青森にある「恐山」と雰囲気がよく似ています。
プーノチュクイト

ガイドブックには紹介されていない遺跡です。
プーノからユングーノ行きのミニバスに乗り、チュクイトで途中下車して下さい。教会の裏手に遺跡があります。
インカの石積みで造られた四角い土台の中に、まるで「まつたけ」のような石塔が並んでいます。
土台じたいの石組みも精巧でなかなかのものですが、やはり石塔の奇妙さが目を引きます。
最初は馬飛び用の石かとも思いましたが(笑)、やはり船を繋ぐクイではないかと思います。
プーノ近郊クティンボ

シユスタニと同じように石塔墓(チュルパ)が立っています。
シユスタニと違うのは四角い形のチュルパが立っていることです。また、動物の彫刻も多いです。
さて、ここの見所はずばり「UFO」です。
なんでも目撃者が多いそうです。私も探しましたが、運悪く、目撃出来ませんでした。



シユスタニもそうですが、ここも山の頂上が真っ平です。どんな自然現象がこの地を襲ったのでしょうか。


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