遺跡馬鹿−ペルー(リマより上)の遺跡と博物館


所在地 遺跡名  
リマカテドラル
フランシスコ・ピサロのミイラ
(遺跡じゃないけど)
高い入場料を払ってピサロのミイラを見に行きました。
が、あるはずのミイラはなく、箱だけ鎮座ましましています。
係員の人に「ミイラは?」と聞くと、箱を指さし、「中に入っている」。
それじゃ、展示じゃないじゃん。金返せ! と、思いました。
リマサン・フランシスコ教会の カタコンベかび臭い空気の中、意外に広い室内を見学しました。
埋葬する場所が当時はなかったので、このように骨を掘り出し、箱に収めるようにしたそうです。
直径5mほどの円形保管箱にぎっしりと人骨が模様を描くように置かれているのは感動です。
でも数があれば良いというものでもないので、ヨーロッパなどに比べるとインパクト度低いです。
リマ黄金博物館

ものすごい量の黄金(入場料もものすごく高い)。
だいたいチムー時代のものが多い。
目玉は骸骨に色とりどりの羽毛を貼り付けた置物。黄金の手。シパン風のピーナッツの首飾り、金のポンチョなどなど。
リマ天野博物館 故天野芳太郎氏が研究で集めた土器、織物などが展示してあります。
とくにチャンカイ文化の収蔵物が多く、織物の豊富さはビックリするほど。
日本語でガイドしてもらえるので、気楽に参加できます。
リマ国立人類学考古学博物館リマ近郊のものばかりで少し残念。
目玉はタクナ近くのCABANA遺跡から出土した「体が虎、足がヘビの壺」
モチーカ文化の土器。
はまぐり、アザラシなど。ナスカの織物。
ミイラが来ているポンチョの赤の美しさは最高です。
リマ国立博物館

とにかく楽しいところ。実に良くできている博物館です。
目玉は、コトシュ遺跡から出土したコトシュ人の顔がずらっと並んだ壺。
チャビン・デ・ワンタルの神像、ランソン像のひらき。
ナスカから出土した干し首。
ワリ遺跡のワリ人土偶。
最大の見所は、完全復元「マチュピチュ全体模型」
これをみてこの遺跡の本当の偉大さを再認識しました。
あと土偶なんですけど、処刑されている最中のような姿なんです。ひざを地面につけて首を後ろに反らせているのですが、その首は90%は切れていて、皮一枚でつながっている状態を表現しているのです。
なんのために? と本当に不思議に思いました。
是非、みてきて欲しいです。
リマ近郊パチャカマ

リマから日帰りで行ける遺跡です。
ティワナコを継承する宗教都市と言われていますが、名前さえ分からず、「パチャカマ」という名前はインカ人がつけました。
とても広く、アドベ(日干しレンガ)で作られているため、原型をとどめているものは少ないです。処女の館は復元されています。
遺跡には見学路が伸びていて、ちょっとでも遺跡に近づこうものなら「ピー」と笛を鳴らされ怒られます。
見どころは5層のピラミッドでしょうか。頂上からみる海はとても青く感動的です。
ワラスチャビン・デ・ワンタル

アンデス最古の遺跡といわれ、築かれたのは今から3000年前と言われます。
メキシコのオルメカ文明とその類似性を指摘されることもあります。

このチャビン村は桃源郷のようです。
バスでこの村へ降りて行く時はまさに自分が飛んでいるような錯覚を覚えるほどの急勾配。
一本の川の流れがこの村を支えています。
遺跡は平たい石を積んで造られています。
規模は大きく、当時は多くの巡礼者で賑わったことでしょう。
見所は「ランソン像」。薄暗い明かりを頼りに地下室へ入っていくと、壁の隙間にランソン像を発見します。近寄って触ったりしたくても出来ません。
ちょっと距離があるので双眼鏡で子細に観察しましょう。
冷えた空気を切り裂くようなランソン像の姿は神々しいです。

外の広場には生け贄の台と呼ばれる「7つの窪みをもつ石」が置いあります。
石の一つ一つに星を割り当てたとも言われます。
この村で一番安いホテルに泊まりました。
観光客なんて私だけ。みんなワラスから日帰りで訪れるからです。とても静かな夜でした。
でも次の日のワラス行きは朝早かったので、あまり眠れませんでした。
チクラヨトゥクメ日干しレンガで出来たボロボロのピラミッドが点在する遺跡です。
このピラミッドを築いたのはモチーカ文化と言われています。
ピラミッドの頂上には墓穴があり、赤い色が塗られていた跡もあります。
ランバイエケ
(チクラヨ近郊)
ブルーニン博物館シパン遺跡から出土した金細工などや周辺の遺跡から発掘された遺物を展示してあります。
ここの目玉は「シャチホコ顔の首飾り」、「トゥクメ出土の丸いレンガ」、「足の形をした瀬戸物」など。
モチーカ文化は紀元100年から600年にペルーの海岸部で興った文化です。
近くのシカン遺跡を島田泉教授が発掘して、そのドタバタの苦労をNHKがドキュメント番組として放映したので、出発前には観ておきたい。
チクラヨシパン

シパンは紀元700〜1300年頃にかけて繁栄した文化です。
大きなワカの隣にある台地のような所に遺跡が口を開けています。
発掘当時と同じように復元されているのが好感持てます。
時間があったので隣のワカに登ってみました。アドベだけでこんなピラミッドを築いたシパン王とはどんな権力を持っていたのでしょうか。黄金の出土物の量もハンパじゃないです。
殉死した他の遺体も一緒に葬られていて、たいした権力です。
カハマルカアタワルパ幽閉の屋敷

インカ皇帝アタワルパがスペイン人フランシスコ・ピサロの奸計にはまり、幽閉された部屋。
教室ぐらいの広さです。
「ここまで黄金を積むから釈放してくれ」と頼んだ「ここまでの線」が、今でも残っているが、聞いた話では、今見るこの線は「嘘の線」らしい。
しかし耳をすませばアタワルパとピサロが対面していた声が聞こえてきそうです。
この部屋一杯の黄金とはどれほどなんでしょうか。
カハマルカインカの城 カハマルカを見下ろす高台にインカの城が残っています。
見張りが座っていただろうと思われる石イスなどが残っています。
登頂途中の階段にはみやげ物屋も出て、にぎやかです。
カハマルカインカの墓(OTUZCO)

町はずれからミニバスが出ています。
白い岩肌にポツポツと墓穴があいていて、埼玉県にある吉見百穴によく似ています。
墓にしては奥行きが狭く、入口が一つで内部でいくつもの部屋に分かれているものもあります。
開口部の方角は皆、東を向いていて、太陽を意識して造られていることが分かります。
カハマルカインカの風呂 カハマルカでは温泉が湧きます。インカの時代もここは湯治場として使われていました。
アタワルパが入っていた湯船は大きめで、湯がガボガボと入っていました。
見学に行った日は休刊日だったので、湯につかることは出来ませんでした。ちょっと残念。
トルヒーヨチャンチャン

チムー王国時代の都市遺跡。大通りでバスを降り、20分ほど歩くと、入場口があらわれます。
周りにも高い壁に囲まれた住居群が立ち並び、当時の町がそのまま遺跡になっています。
航空写真などでみると、その規模の大きさに思わず「お〜お」と声が出ます。
見学場所はとにかく広い。主神殿や儀式の広場、墓地、食糧倉庫そして大きな貯水池。
見所は儀式の広場に刻まれた、鳥、魚、リスなどのレリーフです。また×模様の壁もよく残っています。
インカ人がここに攻め入った時、どんな建物を目にしたのでしょうか。
チムーの土器といえば、印象的な目をした黒い土器。個人的にはとても好きです。
トルヒーヨカシネリ博物館

小さい博物館。
カシネリ氏の個人所蔵の品々が狭い部屋にビッシリ展示してあります。
トルヒーヨワカ・エル・ドラゴン

あまり観光客もこないのか、係員ものんびりしていて、ガイドしてもらいました。
名前の由来ともなった「ドラゴン」が壁面に彫刻されていて、とても壮大なピラミッドです。
トルヒーヨ太陽のワカ/月のワカ

目の前にあらわれた丘がアドベで造られたピラミッドだと納得するのに時間を要しました。
それほど規模が大きい。
さすが「太陽のワカ」です。
シンドそうなので登頂するのはやめました。
「月のワカ」は低そうなので、とっとと行ってみると、工事中のようにシートが張られています。
広場に面した壁に「ハクション大魔王」のようなレリーフを発見。
当時はピラミッド全体に絵が描かれていたそうです。
ハクション大魔王のレリーフは今でも色が鮮やかに残っていて、当時を偲ぶことができます。
見学を終え、帰りのバスを待っていると、なんと雨が降ってきました。
小雨の中で見上げた太陽のワカは渋くてカッコ良かったです。
ワヌココトシュ

東京大学の故泉靖一先生が中心になって発掘した遺跡。
遺跡の入口にはそれをたたえる碑が立っています。
この遺跡はチャビン文化よりも1500年古く、初期のアンデス文明を解明する手がかりともなる大変貴重な遺跡。
個人的に泉靖一先生が子供向けに書かれた「交差する手の神殿」という本を幼少の頃に読み、ず〜と気になっていた遺跡で、実際に訪れることが出来たことは、本当に感動的でした。
現在「交差する手」は確認できませんでした。近寄れないので、双眼鏡で確認するしかないのですが、何度見てもありませんでした。
ここも集落はなく、神殿だけが築かれているというところで、当時は多くの巡礼者が訪れたようです。
交差する手についての言い伝えは以下の通りです。
二人の男女がいて、互いに恋をしあっていたが、両親が許さず、男を捕まえ、手を縛り、諦めさせようとしたが、男は応じなかったので手を切り落としたという事です。


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