遺跡馬鹿−シリアの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | |
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ダマスカス | ウマイヤド・モスク | ウマイヤ朝の時代、715年に建てられた世界最古のモスク。 中にはにある手洗い場のデザインが可愛い。 モスクじたいも正面は絢爛豪華なデザインになっています。 |
マアルーラ | 聖テクラ教会と 聖セルジウス教会 | マアルーラはイスラム教のシリアでは異色の存在です。 なぜならここの住人はイエス・キリストが話していたと言われる「アラム語」を今でも話し、住人の大半がギリシャ・カトリック教徒であることです。 バス停に近い聖テクラ教会は自然の崖と融合しているかのように建てられ、ひんやりとした空気が私を迎えてくれました。 そこからさらにペトラのような細い山峡を抜けていくとギリシャ正教の聖セルジウス教会が現れます。 この教会には13世紀に描かれたイコンもあります。 この山峡は人気がないので、一人ではちょっと危ないです。 |
ボスラ | ローマ劇場と町並み
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「またローマ劇場か」と、誰もが思うでしょう。 確かにここが中東最大で、今から2000年前に建てられたとしても、「でも同じローマ劇場でしょ」という声が聞こえてきます。 そこでこのボスラの本当の良さをお教えしましょう。 まずここの住人は遺跡に住んでいます。 小さな村のメインストリートには今でもコリント式円柱が並び、村人が行き交っています。 また個々の家に目をやると、壁の土台、柱、植木を置いている石台などすべて遺跡を利用してます。 マニアの憧れ、「遺跡に住むこと」を実践しているのがここの村人です。 ああ羨ましい。 これから行く皆さんもこの喜びを忘れることなく味わってきて下さい。 |
パルミラ | パルミラ | シリアを代表する巨大な遺跡。女王ゼノビアが統治していた頃に繁栄するが、その繁栄を快く思わなかったローマがパルミラに侵攻し、やがて降伏させられました。 とにかく大きいので、朝から夕方まで見学にはかかってしまいました。 ベル神殿のみどころは「壁」です。 よく見ると消えかかっていますが壁画がまだ残っています。 次に記念門を抜けて列柱道路へ。 昔、NHKがドゥロ・エウロポスからパルミラまでのキャラバンを再現したとき、取材班がラクダに揺られながら凱旋門を通っていくシーンがありました。 下から見上げる列柱の壮大さにきっとラクダもおどろいたことでしょう。 パルミラの本当のみどころは「墓の谷」だと私は思います。 それはまた「遺跡の秘所ひしょ話」で紹介したいと思います。 |
ハマ | 水車 | ハマの見所は木製の巨大水車です。 ビザンチン時代から作られはじめたそうです。 最大のものは直径20mあるそうですが、私が見たのは18mでした。 印象としては「うるさい」です。「ギリギリッ」という音を極太ゴシックで耳に突き刺す感じ。 でもその大音響が「どうだ俺は偉いだろ」と言っているようで愛らしくもあります。 |
アレッポ | アレッポ城
| 深さ22mの掘りに囲まれ、周囲が2.5kmもある巨大な要塞。 もともとは天然の丘だったので上からの見晴らしがとても良い。 地下牢もあり、勇気のある人は入ってみるとよいでしょう。 |
アレッポ | スーク (遺跡じゃないけど) | いろいろスークも見てきましたが、ロバと正面衝突しそうになったのはここだけ。 あんな狭い通路をロバに乗ったまま通り抜けるおじさんがすごい。 昔のままのスークがここにあります。 |
アレッポ | 考古学博物館
| 玄関前の彫像が可愛い。これはテル・ハラフ遺跡(マリ遺跡)で発掘された紀元前9世紀のもの。 マリやウガリットで出土した土器などが展示されています。 |
デリゾール | ドゥラ・エウロポス(サルヒエ)
| 新年をたった一人で迎え、初詣気分で行ってみたのがこの遺跡です(でも一人で行かない方がいいです)。 紀元前3世紀にアレキサンダー大王の武将セレウコスによって造られたのが始まりです。 しかし224年にササン朝ペルシャ軍に破壊され、廃墟となりました。 道路で下ろされ、門まで30分ほど歩き、とりあえず奥まで行くのに更に歩き、あっちだこっちだと見ているうちに、足の裏が痛くなりました。 しかし城壁から見下ろすユーフラテス川はまさに絶景。 乾いた大地ばかりを見てきた目に水の青さと草の緑が痛いほど。また城やら神殿やらの複雑怪奇な遺構に整理しようと思えば思うほど頭のなかもパニックになりました。 すばらしい遺跡なんだけど、不便なのと治安がちょっと悪いのが残念。 |
デリゾール | マリ
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マリは世界最古の文明といわれるほど古い遺跡。メソポタミア文明の中心でもあったマリは紀元前3000年〜1700年頃に栄えていました。 とりあえず車を降りて遺跡へ向かうと、テントの中に宮殿跡が残っていました。 中に入り、当時の通路を歩いたり出来るのですが、ちょっと狭いし、いまいち宮殿という気がせず、さすがの私も「なんだかな〜」と思い、裏手へ。 テントは張っていませんが、日干しレンガのため、浅い遺構だけが残っています。神殿跡や水路跡が残っています。 ここにひとつ気になる構造物がありました。 台形をした高さ1m40センチほどの高さがあり、中央に30センチほどの窪みがありました。 「拝火祭壇?」という気がします。皆さんはどう思いますか? マリへ行った人がいましたら、是非御意見を。 |
遺跡馬鹿−ヨルダンの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | |
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アンマン | ローマ劇場 | 写真だとよく分かりませんが、町の中心にある、こじんまりとした劇場。 入場無料で気軽に散歩できるのがうれしい。 |
アンマン | 国立考古学博物館 | アンマン城と同じ山の上にあります。 周囲で出土した遺物が展示されています。 |
アンマン | アンマン城 | 市内を見下ろす山の上にあります。 下から歩いて登っていったらバテバテになりました。 青銅器時代から人々がこの地に要塞を築き、イスラム時代になっても使用されていたそうです。 足元を注意深く観察していると、ローマ時代のガラスの破片を見つけたり出来ますよ。 |
アンマン | ジェラッシュ | ローマ時代に交易によって繁栄したジェラッシュは、当時、人口が2万5000人にものぼったそうです。 しかし8世紀におこった大地震のため、建物の多くが倒壊し、やがて人々から忘れられてしまったそうです。 ここの遺跡は広く、豪華な神殿跡が残っているので、時が経つのを忘れてしまうほどです。 とくにイオニア式の列柱群は美しいので、どうせならローマ貴族にでもなったような気分でたっぷりと歩いてみましょう。 フォーラムと呼ばれる広場も圧巻です。 |
アンマン | アズラク城
| 「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンス氏がアラブ革命時の戦略基地として1917年に住んでいたところ。 しかし壁などけっこう崩れていました。 |
アンマン | アムラ城 | 期待していなかったのですが、内部のフレスコ画を見たときは綺麗に描かれているな〜とうっとりしてしまいました。 自然光だけで内部は薄暗かったです。 でも王の入浴シーンが描かれてあったりして、ちょっとあやしげでした。 城の脇にはすっご〜く深い井戸もありました。 ここは不便なところで公共の交通機関がなく、危ないな〜と思いつつもヒッチハイクしました。 |
アンマン | ハラナ城 | 遠くからみるとまるで倉庫のようです。 何に使われていたかははっきりしないそうです。 私は隊商宿じゃないかと思うのですが。管理人さんが親切でした。 屋上にあがると乾いた大地が見渡せます。 |
ワディ・ムーサ | ペトラ | ヨルダンに着いたら、ともかく旅人は「ペトラ」を目指しますよね。 広い遺跡なので朝御飯はしっかりと食べましょう。 朝早くホテルを出て、細いシークと呼ばれる岩の裂け目を30分ほど歩くと、突然バラ色に染まるエル・カズネの宝物殿があらわれます。 その美しさには息をのむほどです。 ここは映画「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」の撮影に使わたことでも有名です。 気づいたのですがシクが途切れ、エル・カズネがあらわれる、その最初に目に飛び込んでくるのが向かって右側の彫刻です。 これって演出なのかな? と思いました。 なぜならその境目を演出する岩の出っ張りがそのまま残っているからです。考え過ぎでしょうか。 ナバティア人の墓、大も小もデザイン的にはさして目を引くものはありませんが、複雑に色が混ざり合う岩の質と風化によってもたらされた、なんとなく溶けたようすが、より廃墟美を感じさせます。 この遺跡の奥座敷に「エド・ディル」と呼ばれる修道院跡が残っています。 裏山から登って屋根まで上がれます。風もきついので注意が必要ですが、大きくても丁寧な仕上げが施されていて、ナバティア人の職人魂を感じました。 私が訪れた時、どこかのグループがこの修道院の中でクラシック音楽をラジカセで流し始めたのですが、その音が内部で反響し、からまりながら、私が座っている向かいの丘へと押し寄せ、その音のすごさに友人と顔を見合わせてしまいました。 芸術とは縁遠いこの私でも鳥肌たちました。 さらに奥へ行くと突然崖っぷちに着きます。深い谷と岩山がつづく風景が雄大。 |
マダバ | モザイク画 | 聖ジョージ教会の中にエルサレムが描かれた6世紀のモザイク地図があります。一辺が2m弱ほどの大きさです。昔は床全面にモザイクがあったと思いますが、今は一部分が残るのみです。 |
マダバ | マダバ博物館 | モザイクが多く展示されています。 私もメモに「踊る原住民」と走り書きが…。 興味のある人は是非、実物を見て下さい。 |
ワディ・ラム | ロレンスの泉とカザリ山峡 | ロレンスの泉は、映画「アラビアのロレンス」の撮影に使われたといういわれがあります。でも「これが…」という印象です。 カザリ山峡は「古い絵文字が刻まれている」という話を聞いた私が、無謀にも 軽い気持ちで歩いていって、あまりの遠さに気を失いかけたところです。 途中、車をヒッチハイクしたりして、ようやく着いてみたが絵文字は見つからず、同じ道をむなしい気持ちで引き返しました。 途中、かみなりにあって逃げ場がなく、地面に倒れてみたりと恐い思いもしましたが、虹も見られたし、綺麗な石もひろったし、まあ満足しました。 |
遺跡馬鹿−イスラエルの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | |
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エルサレム | 聖墳墓教会 | キリストが磔になったゴルゴダの丘と埋葬され、そこから復活した墓を覆うようにして建つ巨大な聖堂。 |
エルサレム | ヴィア・ドロローサ | 旧市街のイスラム教徒地区からアラブ人のスークを抜けて聖墳墓教会に至る道。 1〜9までのポイントになる。 1.イエスが刑の宣告を受けた所。 2.むち打ちの教会。 3.十字架をもって最初に倒れた所 4.イエスが母マリアと出会ったところ。 5.シモンがイエスのかわりに十字架を背負ったところ。 6.ヴェロニカがイエスの顔を拭ったところ。 7.2度目に倒れたところ。 8.エルサレムの娘がイエスに話しかけたところ。 9.3度目に倒れたところ。 |
エルサレム | 嘆きの壁
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BC538年にヘロデ王に増築された神殿の壁。 |
エルサレム | 聖母マリアの墓教会 | |
エルサレム | ダビデの墓 | 調査中 |
エルサレム | 最後の晩餐の部屋。 | レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」で有名なキリストの逸話。本当にこの部屋で最後の晩餐が行われたわけではないが、そう言われている。14畳ほどの部屋。 |
エルサレム | ケデロンの谷 | 調査中 |
ベツレヘム | キリスト生誕の地
| 調査中 |
遺跡馬鹿−イエメンの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | |
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サナア | 国立博物館 | かつてはイマームが住んでいた王宮につくられた国立博物館です。 イエメンの遺跡をまわる前に情報収集しておきましょう。 |
マリーブ | オールド・マリーブ
| かつての首都があったところ。今は廃墟ばかりです。 |
マリーブ | アルシュ・ビルキス
| シバの女王ビルキスの宮殿跡といわれる遺跡です。 今はフェンスに囲まれているので近寄ることができません。 「月の宮殿」と呼ばれています。 15mほどの高さがある柱が5本並んでいる姿は印象的です。 国立博物館には復元模型があります。 |
マリーブ | マハラム・ビルキス
| 「太陽の宮殿」と呼ばれていますが、今は、砂の中に柱が立っているだけの、なんとも悲しい遺跡です。 柱と柱の間隔が非常に狭いので、当時、どのようにして使用していたのか気になります。 |
マリーブ | マーリブ・ダム | 紀元前8世紀に造られたダム。 「偉大なるダム」と呼ばれたダムも紀元570年に崩壊し、その後放置されました。 今は水門の跡を見学することが出来ます。 「砂漠にダム?」という疑問を持ちつつ遺跡に立つと、「なるほどね〜」という言葉がでます。でも、やはりピンとこないのは仕方ないですね。 「ニュー・ダム」を見ると実に豊かな水がたたえられていて、砂漠に水の不思議を感じました。 これだけの水があってこそのシバ王国だったのだなと思いました。 |
シバーム | 砂漠の摩天楼 (写真はサイユン) | 砂漠の摩天楼と呼ばれる、シバーム。 けれど摩天楼の素材は木材と日干しレンガというから驚き。 今でも多くの人が住んでいます。 サイユンの街から乗り合いタクシーでいけます。 |