遺跡馬鹿−パキスタンの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | |
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ラーホール | ラーホール博物館 | ここでの目玉は「断食するブッダ」です。 ガラスケース越しだと分かりにくいのですが、よく見ると、「目玉」がしっかり彫られています。 目玉を意識して、改めてこの像を鑑賞すると、真理を求めて壮絶な行をするブッダの気迫がググっと迫ってきて、本当に怖さを感じます。 |
ハラッパー | ハラッパー |
今から5千年前に築かれたインダス文明の遺跡。 1キロ四方の広さに分布する都市遺跡で、モヘンジョ・ダロと同時期のものであることが分かっています。 残念ながら破壊が激しかったため、建物の土台など平面的な印象を受けます。 その質素なたたずまいのせいで観光客は多くありませんが、1920年頃に行われた発掘のトレンチ跡などはまだ残っているので、考古学ファンにはたまらない所です。 遺跡となりには博物館もあります。 右の写真は井戸です。 |
タキシラ | タキシラ博物館 | タキシラの各遺跡から出土した品々を展示してあります。 遺跡をまわる前に一通り知識を仕入れるには便利です。 |
タキシラ | ビール・マウント | タキシラ最古の都市遺跡がここです。 目立つ土まんじゅうが「混雑した丘」と呼ばれる、ここのシンボルです。 この一帯は4層からなる遺跡ですが、実際には分かりずらい構造になっていて、あっと言う間に見学が終わってしまったというのが正直な感想です。 タキシラの遺跡はとても広い範囲に点在しているので、タクシーや馬車を借りてまわることになるのですが、根性なしの私はビール・マウンドだけしか見学しませんでした。 どなたか見学した方がいましたら、お知らせ下さい。 |
ペシャワール | ペシャワール博物館 | ガンダーラの仏教に関する品々が収められている博物館です。 ガンダーラ仏の特徴は「美形・美体」であることですね。 日本の仏像と比べながら見学するのも楽しいですよ。 |
モヘンジョ・ダロ | モヘンジョ・ダロ |
教科書にも載っている、世界的に有名な遺跡。 モヘンジョ・ダロ(モエンジョ・ダーロとも呼ぶ)は「死者の丘」を意味する言葉で、実際に多くの遺体が発掘されたことで知られています。 遺跡が築かれたのは今から6千年前で、これにより世界で一番古い都市遺跡となっています。 規模も大きく、じっくり見ていたら一日がかりの見学になります。 ここでの見所はいくつかありますが、まずは「沐浴場」。 プールのような沐浴場に立つことは、私の長年の夢でした。 実際に立ってみると、これが6千年前に造られたとは信じられないほど、ピッチリとレンガが敷き詰められていて、おもわず床に這いつくばってしまいました。 次がダストシュート設備。 日本では地べたに柱を建てて住んでいた頃、モヘンジョ・ダロ人はダストシュート付きの2階建てアパートに住んでいたのです。 最後は栄枯盛衰を象徴する「井戸」です。 上にいくほどレンガの積み方が雑になっていく井戸から都市に住む人々の心が荒廃していくのが見て取れます。 一見すると煙突のように見えますが、都市が少しずつ土砂に埋もれていったのがよく分かります。 現在は塩害を受けていて、レンガに塩が吹き出しています。舐めると確かにしょっぱかったです。 |
モヘンジョ・ダロ | モヘンジョ・ダロ博物館 | モヘンジョ・ダロといえば、コブ牛がデザインされた印象ですね。 本物がここの博物館に収められています。でも多くがカラーチーの博物館に運ばれているので、展示品はあまり多くありません。 発掘当時の写真なども展示されています。 おみやげ屋でこのコブ牛印章板が買えます。 近くの村でなにげなくすれ違った牛車が、出土した牛車とそっくりで、感動してしまいました。 |
遺跡馬鹿−イランの遺跡と博物館 |
所在地 | 遺跡名 | ||
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テヘラン | イラン考古学博物館 | イランで一番大きな博物館です。 しかし私が訪問したときは見学者も少なく、ガラ〜ンとしてました。 イラン中の遺跡の情報が集まっているので、各地へ行く前に是非、チェックしに行きたいところです。 |
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テヘラン | アーブギネー博物館 (ガラス&陶器博物館) |
ペルシャと言えば「ガラス」。 その至宝の数々が集まっているのがこの博物館です。ここでの目玉はやはり、日本の正倉院にも伝わった「あのガラスコップ」でしょうか。 もともとペルシャのガラスは「ギラン」という地で製造されていたので、産地にはギランの名がついてます。 イランから日本までの距離や時代を考えると、正倉院に残るガラスコップは奇跡ですね。 |
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レイ (テヘラン近郊) |
チェシマ・アリの泉 | 岩山を背にして泉が湧き出ているところで、昔は絨毯を洗う風景が見られたそうですが、今は薄汚れた感があります。 ここの見所はこの岩山に彫られた「ヤズドギルド王が神官や従者を従えて玉座に腰かけている」浮き彫りです。 王様は7世紀のひとですが、この彫刻は17世紀につくられました。 王を偲んで後世の人々が彫ったのだろうと思われます。 レイという町は古代「ラガ」と呼ばれ、前5千年から紀元後12世紀の間に繁栄したという由緒正しい土地ですが、今は落ち着いた住宅街という感じです。 |
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イスファハン | チェヘル・ソトゥーン宮殿 | 1647年に建てられた華麗な建物で、庭にはプールのような四角い池があり、当時は迎賓館として使用されていたそうです。 その池には美女4人とライオンが彫られた噴水が設置されていますが、松本清張はこの噴水施設と飛鳥村の須弥山石が内蔵する噴水施設が元を同じにするものではないかと考察している。 |
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シラーズ | ペルセポリス | イランと言えば「ペルセポリス」です。 また以下に紹介する遺跡をまわるため、シラーズで運転の出来るガイドさんと車をチャーターしたので、いろいろと専門的なガイドを受けることが出来ました。 でも私の英語力がとても低いので、子供並の質問しか出来なかったのがくやしかったです。 有名な遺跡なので説明は省きます。 遺跡を見下ろす丘にはアルタクセルクセス2世の王墓が残っています。 周囲の壁にはノミの跡がびっしりと刻まれ、ちょっと感動的です。 | |
シラーズ | ナクシュ・イ・ロスタム | ペルセポリスの遺跡から約6キロ北西にある、岩山に彫られた岩窟墓。 4つの王墓がギリシア十字形に彫り込まれ、その巨大さには圧倒されます。 ここの見所はレリーフです。馬にまたがる王を描いた「騎馬戦勝図」や水の女神「アナヒータ」、などなど。そしてアフラマズダのシンボルも見逃せません。 また中に入ることは出来ませんが岩壁の向かいにはゾロアスター教の施設ではないかといわれる建物が建っています。 | |
シラーズ | パサルガダエ | 紀元前546年頃にキュロス大王2世のもとで建設が開始されたアケメネス朝最初の首都がここです。 このパサルガダエとは「ペルシア人の本営」という意味ですが、今は見る影もなく荒れ果てています。 ここの見所は足が魚のようになっている、レリーフです。水の神「アナヒータ」に仕える神官をモデルにしたとも言われています。 |
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シラーズ | キュロス2世の墓 | キュロス2世の在位は紀元前559〜前530年。 アケメネス朝ペルシャ帝国を築いた人です。 彼の墓はジグラット状で、5段ほど石を積んだ上に積み木のような屋根の墓が乗っています。 写真の印象より、意外に大きく、堂々とした迫力がありました。 |
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ヤズド | ゾロアスター教寺院(アタシュケデ)
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ゾロアスター教寺院の中でもっとも重要な寺院ですが、観光客にも開放されているので、1500年以上も燃え続ける聖なる火を写真に撮ることもできます。 | |
ヤズド | ダフメン=沈黙の塔 | ゾロアスター教徒の鳥葬場として有名です。 1930年に禁止されるまで、ゾロアスター教徒は死者をこの塔に運びあげ、禿げ鷹やカラスにその肉を食べさせていました。 荒涼とした風景はまさにあの世とこの世の境を感じさせます。 | |
ヤズド | ゾロアスター教の村(ケシム村) | 廃村のような趣のケシム村は村民全員がゾロアスター教徒です。村の中央には小さいゾロアスター教寺院が建っています。この寺院は一般に公開されているのか、ちょっと分かりませんが、幸運にも私は見学を許されました。 ここでは直接、聖なる火を見ることができました。 |
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バム | バム古城 | 私が行ったときはガイドブックもない時だったので、一人で行くと誘拐される等々、結構おどされました。 実際はそんなこともなく、イラン人の観光客も多く訪れていました。 詳しい説明はガイドブックに任せますが、とにかく壮大な城塞がそっくり残っているのが素晴らしいです。 どんな角度から撮っても絵になるので、フィルムは多めに用意しましょう。
12月26日に起こった地震により、バムの城が壊滅したそうです…。 犠牲となった方たちの数も尋常でなく、増えていく数字を見るたびに悲しさで胸がいっぱいになります とりあえず手持ちの写真を載せてみました 城塞都市バム遺跡の入口 この入口を入ってすぐのトコロにチケット売り場がありました。 入口手前に止まっている車はテレビ局の車だったようで、場内で遺跡の撮影をしていました。 城塞都市の最奥に位置するお城までは、こんな通路を通って向かいます。 まるで迷路のようです。 上から見るとよく分かります。敵の侵入を妨害するシステムですが、観光客もうっかりすると迷子になっちゃいます。 やっとたどり着いたお城。 青い空に茶色のレンガが良く映えます。 写真ではこじんまり見えますが、かなり大きなお城です。 お城の上から城壁内を見下ろしたトコロです。 狭いながらも楽しい我が家が立ち並んでいます。 お城の外は乾ききった土地が広がるだけで、なんとも殺風景でした。 |