遺跡馬鹿−エジプトの遺跡と博物館


所在地 遺跡名  
カイロ ギザのピラミッド

何かと話題のクフ王のピラミッド。
大きさ、壮大さ、謎の多さでやはり世界一かな。
カイロ サッカラ

最古のピラミッドである階段ピラミッドが有名。
こじんまりしているが、ピラミッド・コンプレックスがよく残っている。
カイロコプト教会 オールドカイロ地区には4世紀頃に建てられ10世紀になって再建された教会が今も残っています。
昔はコプト博物館の地下(聖母教会)に降りることが出来ました。
その時すでに水がたまっていたので、今では地下に行くことは出来ません。
ルクソール ルクソール神殿

とても巨大な神殿で見る者を圧倒します。
とても広い神殿なので、見学するのも大変です。
大列柱廊は高さ15m80の14本の開花式パピルス柱が2列に並ぶ。
自分が蟻になったような気分が味わえる。
ルクソールカルナック神殿 アメン神の聖地として記念物が造営された。
ここにも大列柱室があり、高さ13mの列柱が134本も立っている。
王家の谷 ツタンカーメン墓 薄暗い階段を下りていくと一番奥にツタンカーメン王が眠る玄室がある。
ガラスで蓋をされていて、中を覗くと黄金のひつぎが見える。
中には今でも王が永遠の眠りについているそうだ。
ルクソールハトシェプスト女王葬祭殿 中央のスロープを中心に左右に広がる神殿。
私の時はスロープが工事中だった。
ルクソールラメセス3世葬祭殿
ラメセス2世葬祭殿
セティ1世葬祭殿
調査中
アスワンアブ・シンベル

ユネスコの力で水没をまぬがれたラメセス2世大神殿とハトホル神殿がある。
人間の力でこのような巨大な遺跡を動かしたというのが凄い。
遺跡の横から岩山のドームに入れる。その場違いな空間がSF的でもある。
アスワン西岸 岩窟墳墓群 ナイル川西岸の崖には紀元前2000年前後に造られた墓がある。
しかし墓の中にはチップがないと入れない。
あたりには人骨も散らばる。
それより民衆の皆さんとボートで川を渡った時の方が今は楽しい思い出になっている。
カイロエジプト考古学博物館 町の中心にある。駐車場には常に大型観光バスがとまっている。
博物館も広く、目玉も多いので、気力を持続させるのに一苦労。
一番人気はやはりツタンカーメン王のコーナー。
黄金のマスクの前は常に観光客で溢れ、マスクと一緒に写真を撮りたい人たちの殺気も感じる。
数多くの陳列品のなかでお薦めは「カイロの書記長」。
髪型といい、まつげの濃い感じといい、友人にそっくり。
カイロイスラム芸術博物館 感動的に美しい、木工細工は必見。
マシュラベーヤと呼ばれるもので、窓や目隠しに施された細工。




  遺跡馬鹿−チュニジアの遺跡と博物館


所在地 遺跡名  
チュニジアバルドー博物館3階建ての大きな博物館です。
とにかくモザイクの数々がとっても見事です。
モザイクの見方は細かく、陰影が付いていて、色合いが上品なことでしょうか。
当時の日本にはない芸術なので、その感覚の凄さに恐れ入ったりしました。
チュニスアントニヌス共同浴場

チュニジアを紹介するときに必ず登場する「あの柱」がここにあります。
2世紀のアントニヌス・ピウス帝が建てさせた、広大な公共浴場です。
チュニスカルタゴ博物館ビュルサの丘の頂上にある、見晴らしのよい博物館です。
目玉は2階のトフェ出土品でしょう。幼児の遺骨を入れていた骨壺がどのように埋葬されているかが、模型を使って再現してあります。
また、モザイクなどの展示も豊富で、目に楽しい博物館です。
チュニストフェの墓地

カルタゴ時代の墓地で、敷地じたいは狭いのですが、ここはバール・ハモン(フェニキアの古代宗教神)とタニト神(カルタゴの守護神)が祭られていた、当時の聖域だったところです。
当時のカルタゴは幼児を殺し、神へ捧げる「生け贄」の習慣があり、神像の前で祭司は子供たちの首を切り、燃えさかる火の中に投げ入れて都市の繁栄や戦勝祈願を行っていたそうです。
この墓地からはそんな説を裏付けるように炭化した幼児の骨が入った骨壺が発見されています。
ドゥガドゥガ

チュニジアにある最大のローマ遺跡がここの遺跡です。
紀元4世紀頃が一番繁栄しましたが、やがて衰退して行きました。
遺跡の規模はとにかく広い。
端から端まで見てまわろうとすると、とっても時間がかかります。
印象的なものは、今も残るローマ時代のモザイクでしょうか。
ここは幾つかの床がオープンになっているので、モザイク上を歩くことができます。
そこで一句。
「モザイクを踏んでしみじみローマ人」
その他の見所は巨大なキャピトルですか。
これは下から見上げると本当に大きいです。保存状態もとっても良いです。
166年から167年に建造されました。
あとはとっても離れた所にある「リビコ・プニック廟」。
紀元前3世紀のヌミディア時代のもので、廟といってもお墓ではなく、記念碑だということです。
この遺跡はローマ人の住居跡が良く残っているので、見学しながら「ここが玄関で、ここが居間、勝手口はこっちで等々」などと、想像しながら歩くのが楽しいです。
エル・ジェム

ローマ劇場

世界最大のローマ劇場。
建造されたのは230年。
ローマ帝国のゴルディアン皇帝の命により、縦149m、横124m、高さは36mという巨大なコロセウム(円形闘牛場)が建設されました。
ここの見所はとにかく大きさを楽しむということでしょうか。
最上階で風に吹かれながら、当時の繁栄を想像するのが一番の観光法でしょう。
感想
カルタゴでローマ風呂を見、ここでこのような巨大円形闘牛場を見ていると、ローマ人の「分けの分からない情熱」に感心させられます。
この遺跡を見てると、劇場を建てる為政者の思惑もありますが、人間とは娯楽がなければ生きていけないのだ!と、ローマ人に背中をバンバン叩かれているような気がしてきます。
マクタールマクタール

もともとはヌミディア王国時代の砦だったものが、紀元180年にはローマの都市として繁栄したところです。
ドゥガ遺跡よりはこざっぱりした印象です。
ここの見所は「共同大浴場」でしょうか。保存状態も良いです。
ついでですが、「バシリカ」を見学していたときに、当時のコインを拾いました。それも2枚。小さく、つぶれているので、時代などは分かりませんが、ちょっと嬉しかったです。




  遺跡馬鹿−アルジェリアの遺跡と博物館


所在地 遺跡名  
ティムガットティムガット

アルジェリアで一番大きい遺跡。ここは紀元前1世紀ごろローマ皇帝のトラヤヌスの命令で築かれました。
とにかく大きく、目玉の凱旋門は圧倒されるほどの重厚さです。
石畳にはわだちの跡がしっかり残っています。
表面も多くの履き物でこすられたのかスベスベしていて、どれくらいの人々がここで生活していたのかと当時を想像してみました。
しかし外国人のテロが頻発していた時に観光したので、観光客はいないし、博物館も閉鎖されてました。
ただで見学できたけれど、預かってもらうつもりのリュックも結局、担いでまわることになり、とてもシンドかったです。
コンスタンチーヌエル・カンタラ橋

コンスタンチーヌは昔「シルタ」と呼ばれていました。
1世紀から3世紀にかけて栄えていた都市でしたが、のちキリスト教を公認したローマのコンスタンチヌス帝によって新しく町が作り直され、コンスタンチーヌ、つまり「コンスタンチヌスによるもの」という名前をつけられました。 この町の見所は、ルンメル川にかけられた、高さ160mを誇るエル・カンタラ橋です。
橋の上から下を見下ろすと、クラクラと軽いめまいが。
高所恐怖症の私にはつらいです。
コンスタンチーヌ考古学博物館チュニスの「トフェの墓場」で見た、ターニットが刻まれた石版が山ほどありました。
このあたりはフェニキア人が交易していたところなので、あってもおかしくはないのですが、もっと驚いたのは、隣の部屋で「中国写真展」をやっていたことです。
一瞬、アジア人である自分に気づきました。




  遺跡馬鹿−モロッコの遺跡と博物館


カスバ(城塞または高い城壁で囲まれた町全体を指す)も遺跡と判断しました。

所在地 遺跡名  
ラバト古代美術館
(考古学博物館)
新旧石器時代からはじまって、イスラム時代までの出土品が展示されている。
小規模だがとりあえずここでモロッコの遺跡の概略をつかんでおくといいでしょう。
マラケシュエル・バディ宮殿

サアード朝のアハメド・アル・マンスール王が当時の技術の粋を集め、25年の歳月をかけて建造した宮殿。
現在は廃墟でだれもいないが、こうのとりが巣を作っていたのが印象的
(モロッコの遺跡にこうのとりの巣はつきもの)。
メクネスムーレイ・イスマイルの穀物倉

ダール・エル・マの隣にある建物
。巨大な穀物貯蔵庫の跡。
アーチが続く美しい回廊と薄暗い倉庫のアンバランスが印象的。今は廃墟です。
メクネスヴォルビリス

モロッコに現存する最大のローマ遺跡。
ここも広いのでおやつと飲み物を忘れないように。
途中で経由するムーレイ・イドリスも小さいながら印象的な町。
ホルムと呼ばれる聖者の廟までは浅草の仲見世のようにみやげ物屋が並び、見ているだけでも楽しい。
ワルザザードタウリルトのカスバかつての司令官の住居。よく保存されている。裏手に行くと迷子になりそうなほど。
モロッコ人に案内されて一般市民のカスバの中の部屋へ連れていってもらったが、薄暗くってちょっと恐かったです。
ワルザザードドゥリラの集落とカスバ途中で出会った少女たちに誘われるまま彼女の家へ。
古いカスバなのに綺麗に部屋の中は飾られていました。
帰りは裸足で川を渡って戻ったりとこれまた大変な思いをしました。
ケラア・デ・ムグーナ
(ダデス川地方)
小カスバ群村と川を挟んだ対岸の高台に小さなカスバがぽつぽつと並んでいます。
結構歩くし、足場も悪いのであまりお薦め出来ませんが、高台から見るアトラス山の雪景は絶品。
バラ祭にあわせて滞在していたのですが、祭は楽しかったです。
私のみすぼらしい姿が地元のテレビに撮影されてました(恥)。
タフロウトアデイ村とアメルン渓谷
(遺跡じゃないけど)
とても小さな村ですが、足をのばしてアメルン渓谷へ行ってみるのもお薦めです。
この地方独特の家はチベット人の住居に不思議と似ています。
ちょっと奥へ行きすぎて帰りが大変でしたが、「モロッコの赤」と言われる土の色を堪能しました。
フェズなめし皮工場
(遺跡じゃないけど)

写真ではそんなに興味は湧きませんでしたが、実物を目の前にすると「う〜ん」と、うなってしまいました。
皮を染める染料のにおいと色彩の強烈さ、そしてなによりもアリのように働く人間達。
この熱気は本当にすごいです。

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